essay / 湖畔の思索日誌

2025-11-05 13:10:00

光らない時間

私たちはいったい、この手のひらの四角い画面に人生のどれだけの時間を費やすのだろう。

ふと、おそろしくなる時がある。

それが無い時代を知っているのに、それはもう遠い昔のことのよう。

それが無い時代に、どんな過ごし方をしていたの。

それが無い時代の小説を読み、それが無い時代の映画を観る。

それが無い時代には、今は失われてしまった時間が溢れていた。

 

四角い画面の向こうには今日も数多の、如何にも豊かで輝かしい人生が溢れている。

たくさんのハートを求める人々の首は直角に折れ曲がり、充血した目線の先にあるのは手のてらで光る四角い画面。

 

この四角い画面に人生が吸い込まれるなんてご免だ。

私の時間は、人生は、画面越しにあるのではない。こちら側にあるのだ。

そう言い聞かせて前を向く。

目の前で流れていく光らない時間を、私だけの心に刻む。

 

2025-10-17 14:59:00

ちょうどよい距離感

常にちょうどよい距離感を求めている。

ちょうどよい距離感はとても安心できる。

でも具体的な距離とも違うから、距離感を言葉で伝えるのはむずかしい。

 

たとえば、名前に「さん」付けはとても好ましい。最も好きな敬称だ。

「ちゃん」や「くん」は最初は緊張するけれど、慣れてきたら自然に呼べる。

ニックネーム呼びや呼び捨ては、かなりハードルが高い。

初対面でニックネームしか教えてもらえないとかなりつらいけど、何度も会う人なら呼べるようになる。

滅多に合わない人だと、呼ばずに会話できる方向へ誘いたい。

一番難易度が高いのは、「さん」から「ちゃん」またはニックネーム呼びへの移行だ。

タイミングも難しいし、相手から促されて変えるパターンと、周囲の呼び名に合わせて何となく変えるパターンがあり、どれを取ってもスーパーハードだ。

 

「さん」付けの敬称呼びは、私にとっては最適な距離感だけど

相手にとってはどうなのだろうか、と時々考える。きっとひとりひとり最適な距離感は違うのだろうから。

そういった意味では、互いに同じくらいの「ちょうどよい距離感」を持つ人とは、長くつき合えるということなのかもしれない。

身近な存在だと、夫とはとてもちょうどよい距離感を保っている。互いに呼び捨てにしない関係は、これからも変わらないであろう。

 

最後に、

敬語はとても落ち着く。

略語が苦手だ。できれば正式名称が良い。

でも、ちょっと古いけど、げきおこぷんぷんまるという言葉は怒りをまろやかにしてくれるので好きだった。使いはしないのだけれど。

だから時々、いいなと思う略語もある。やはり使いはしないのだけれど。

 

 

2025-09-27 11:48:00

夕刻の虹

 

日の入りが少しずつ早くなり、仕事を終えて車に乗り自宅へと向かう時間がちょうど夕暮れと重なる。

昨日の夕空はオレンジとパープルとピンクを混ぜたような明るみを帯びた色で、

すでに暮れた遠くの薄暗い空との対比と、所々に射す黄金色の光が何とも美しく、こういう日の帰路は特にゆっくりと車を走らせたくなる。

カーブを曲がったその時、ただでさえ美しいその空に虹が架かっていた。

思わず声が出た。あぁ…きれいだなぁ…。

後続車やすれ違った車のドライバー、そして同じ時刻に空を見上げたすべての人が、きっと同じ気持ちだっただろう。

次のカーブを曲がった時には、もう消えていた。

自然のもたらす力は偉大で平等だ。この夕刻のたった一瞬で多くの心を癒やすのだから。

人間など、到底足元にも及ばぬことを自覚する瞬間でもある。

そして及ばぬながらも、本質的に良いと思える生き方を私は選びたい。

忖度なく誰もが美しいと感じた、あの夕刻の虹のように。

 

 

2025-09-08 14:05:00

喧噪の中の静けさ

インドは二度訪れた。21才の時と、26才の時だ。

 

初めての海外がインドだった。大学の仏教遺跡研修で北インドに2週間。

その時にまた来ようと心に誓い、26才の時に南インドから北インドへ半年ほど旅をした。

 

秩序正しい日本とは大きく異なるインド。中でも一番衝撃を受けたのは、音だった。

それは瞬間的には騒々しさに感じるのだけれど、よく耳を澄ませば理解できる音の多様さに気づけば魅了されていたのだった。

車やオートリクシャーのクラクション、客引きや物売り、物乞いの声、ヒンズーの祈りの歌、プージャの儀式、どこからか聞こえるインド音楽、人々のおしゃべり、チャイの素焼きのコップが割れる音、洗濯や沐浴の賑わい、とにかくあらゆる生活音が混沌と渦を巻く。

 

静けさを好む私にとって、これらの音を耳が受け入れるまでに少し時間が必要だったけれど、この音には人々の「生」が密接していて、人々の生きるエネルギーそのものなのだと感じるようになってからは、不思議なことに、喧噪の中にいるのに心地よい静けさを感じていた。

音の源には命がある。そんな当たり前のことに気づかせてくれたインド。

 

あの音が、私にとってのインドだ。

そして時々途方もなく、あの音の中に身を置きたくなるのだ。

 

 

2025-09-05 16:02:00

世界といのちの教室

7月の初めに、国境なき医師団が行っている「世界といのちの教室」という教育プログラムに、ボランティアとして参加してきた。

この日一緒に活動したのは、大学生と私の母くらいの年代の女性、そして国境なき医師団日本会長の中嶋優子医師と事務局スタッフさん。計5名で、札幌市内の小学校を訪問した。

 

 

「世界といのちの教室」は、小学校5・6年生を対象とする、世界で起きている命の危機や医療支援について子どもたちが学び、考えるための特別授業だ。「総合」という科目で、5・6時間目の授業の中で実施した。

 

国境なき医師団 世界といのちの教室

 

 

【世界といのちの教室 プログラム内容(90分想定)】

 

◎前半

「知る・学ぶ」

世界で起きている命の危機。医療援助を必要としているのはどんな人?

国境なき医師団はどんな活動をしているの?

 

◎後半

「考える」

国境なき医師団のお医者さんになって、

人道援助の現場で直面するジレンマを体験してみよう。

(ワークショップ・ディスカッション)

 

 

全体的にはこのような流れで進行していく。(詳細は国境なき医師団のホームページに記載されている)

私たちボランティアスタッフの主な任務は、全体的な進行の手伝いと、子どもたちのグループディスカッションのサポートだ。

当日スムーズに活動できるよう、事前に研修も受けている。

 

このプログラムは、グループディスカッションの時間が特に素晴らしく、大人でも簡単に答えを出すことのできない難しいテーマに対して、子どもたちが一人ひとり真剣に考え、チームで意見をまとめ、最善の選択を模索する姿に感動せずにはいられなかったむしろ大人こそ、子どもたちのこの姿を見て彼らの言葉を聞き学ぶべきではないかと感じるほどだった。

 

そして今回の教室で語られた、中嶋医師の言葉はとても重く心に残っている。

中嶋医師は、2023年の11月にガザへ派遣され、交通網も途絶える中で荷物を背負い、徒歩で現地入りしたそうだ。 「これまで経験したどの現場よりも一番悲惨な状況でした。さまざまな現場経験のある他国のスタッフも皆口を揃えてガザほどひどい状況を見たことがないと言っていた。それくらい大変な状況で、それが現在もさらに悪化し続けています。」

この言葉は、実際に現地で人々の命に向き合ってきた人だからこそ語れる重みを持ち、胸に深く刺さる。

 

現地での写真とともに過酷な環境下での活動の話を、わかりやすく語る中嶋医師は、最後に一人の少女の動画を見せてくれた。

動画の中の少女は覚えたての英語で自己紹介し、好きな色や好きな遊び、夢について朗らかに話していた。

 

動画が終わると、中嶋医師は子どもたちに優しく語りかけた。

「彼女はみんなと同じように好きな色や好きな遊びがあって、そして夢があります。ただ一つだけ違うのは、彼女が居る場所がガザであるということ。天井の無い監獄と呼ばれるガザから、彼女は出ることができません。生まれたときから紛争の中で生きています。」

そこにいる全員が真剣な眼差しで聞いていた。

 

その後、「中嶋先生はどうして国境なき医師団に入ったのですか?」という子どもたちの質問に対して

中嶋医師は悩むことなく真っ直ぐに「かっこいいから!だってかっこいいでしょ?困っている人たちを助けにいくんだもん!」と笑顔で答えていた。

あぁ、自分も子ども時代にこういう授業を受けたかったなぁ、こういう人に出会いたかったなぁと素直にそう思った。

 

 

「世界といのちの教室」は、遠い国の出来事を自分ごととして考えるきっかけを子どもたちに与えてくれる場だ。

 こうした経験を記憶した子どもたちは、広く世界を見つめ、意見が違っても耳を傾け、ひとりひとりの命の重さが平等であることを理解できるようになるはず。間違いなく未来の平和につながる大切な体験であると感じた。

 

国境なき医師団は、ジャーナリストと医師によって設立され、「独立・中立・公平」を活動原則とし、98%が民間からの寄付によって支えられている。そのため国家や政治、宗教などの背景に左右されず活動することができ、世界各地で緊急医療援助と証言活動を続けている。

 

国境なき医師団の活動は、寄付やボランティアなど、たくさんの人の理解と協力によって支えられている。

私自身も今回の体験を通じて、募金だけではなく、「伝えること」や「考える場を持つこと」もまた支援につながる第一歩になるのだと実感した。

 

 

「この世界に、関係のないいのちなんて、ひとつもない。」——世界といのちの教室が掲げるこの言葉を、深く心に刻む。

私はたまたま日本の平和な町に生まれただけ。生まれてくる場所が違えば、戦禍の人生だったかもしれない。

遠く離れた地で起きている現実を前に、私たちができることは限られているかもしれないけれども、「知ること」「考えること」、そして「伝えること」もまた、小さな一歩となりうるはず。  

 

私自身も、ボランティアや募金、そして伝えることを通して、これからも支援を続けていきたい。

 

 

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もし「世界といのちの教室」を自分の学校でも実施したい、という近隣の学校関係者や自治体の方がいらっしゃいましたら、私が橋渡しをすることもできますので、ぜひご相談ください。

子どもたちが未来に向けて広く世界を見渡せるような学びの場を守り育てていくこと、それもまた国際協力のひとつのかたちであり、将来の平和をつくる道筋のひとつだと思います。

(国境なき医師団ホームページ上では、お申し込みがいっぱいで新規受付が中止となっていますが、事務局のスタッフさんに直接連絡することができます◎)

 

また現在、国境なき医師団の中嶋優子医師が、ガザを含む中東の紛争地域における人道危機に対しての日本政府への要望書と支援のオンライン署名活動をしています。

change.orgよりどなたでも署名できますので、ぜひ多くの署名が集まることを願い、ここにリンクを記載させていただきます。

 

https://chng.it/ZNz6wrc7sM

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