essay / 湖畔の思索日誌
どうして競争しないといけないの?
小学三年生の息子と晩ご飯の食卓を囲んでいた。
もうすぐ運動会がある。ちなみに息子は、幼少期から運動会や発表会が大の苦手である。
大きな拒否反応が出る前に、今の気持ちを知ることが重要だ。
私「練習はどう?」
子「よさこいは難しいけどがんばってるよ。」
子「でも走るのは最悪。」
私「最悪とは?」
子「100m走だよ。足が遅くて負けるのがわかってるのに、なんで競争しないといけないの?」
自分の子ども時代を見ているようだ。
運動がとても苦手で体力も無く、運動会でダメな自分をさらすのがとても苦痛だった。
運命競争だけが唯一の救い。
徒競走でどんなに全力で走ったとて、クラスで一番速い子に勝てるわけもないのに
その頃は根性論(いわゆるスポ根)しか存在しなかったのが、また辛かった。
そこで提案をしてみた。
何のために自分は走るのか、自分だけの目標を決めてみたらどう?と。
息子は箸を置いて、考えていた。
そして声高にこう叫んだ。
「おれは、ウルトラマンに力を送るために走る!」
彼は学校で、今日もきっとウルトラマンのために、ひいては地球の平和のために走っている。
WHAT IS "PEACE" TO YOU ?
WHAT IS "PEACE" TO YOU ?
というプロジェクトを思いつき、この6月から店で実施している。
私の店には、地元や道内国内のお客さんのほかに、日々様々な国からお客さんが来てくれる。
ニュースで世界情勢が悪化していく様子を目にするたびに、
どうにかしたいのにどうすることもできない自分にため息が出るわけだけれど
それとは裏腹に、この店の扉を開けてくれるお客さんとの交流はとても平和だ。
つまり、民間人は「平和的外交」ができている。
とはいえ、世界(特に力を持つ国々)が国策として排他主義に傾いているのは事実で
異なる人や弱い立場の人たちの排除を助長するようなプロパガンダが
SNSやネットニュースをはじめ、あらゆるところに潜むなかで
自分が流されないためには、目の前にある守りたい世界をどうにか可視化させ表現をしていくしかない。
そこでふと思った。
みんなが思う「平和」って、どんなものなのだろう。
ひとりひとりに問うたとき、きっと無限に生まれるはず。
たくさんの平和のかたちに触れたとき、この世界の見え方が変わるのではないだろうか。
少なくとも自分にとっては。
最初に戻る。
WHAT IS "PEACE" TO YOU ?
というプロジェクトを思いつき、この6月から店で実施している。
参加方法は簡単だ。紙に書いて、貼る。
来店が難しい人には、メッセージをもらえたら代筆もしている。
用紙を作った。項目は二つのみ。どの言語でも、短い言葉でも、絵でもOK。
●WHAT IS "PEACE" TO YOU ?(あなたにとって「平和」とは?)
●Where are you from? (ご出身)
貼るスペースとして、店内に『PEACE WALL』を作った。
このプロジェクトの期間は一応区切りとして、8月15日を予定している。
たくさんの人の平和のかたちを、見ることができたらいいなと思っている。
プロジェクトをはじめてすぐ、先月立ち寄ってくれたドイツのお客さんからInstagramのDMが届いた。
台湾のお客さんからもメッセージをもらった。
ハワイから来たファミリーは、みんなで書いていってくれた。
この店にはGood Heartがある、と言いながら。
数日前にカリフォルニアから来たカップルが参加してくれて、今日また顔を出してくれた。
バスが出発する前に寄ってくれたのだった。どうしても伝えたいことがあると言う。
ここに来るまでは悲しい気持ちを抱えて過ごしていたけれど、心がとてもあたたかくなったと
溢れようとしている涙を指でぬぐいながら、私にわかる英語で伝えてくれた。
世界がどうか良いほうに向かってほしいね、と私もまた涙を指でぬぐいながら話した。
はじめてからまだ数日だけれど、想像をこえる心の交流に
私自身が一番、たくさんの"Good Heart"をもらっている。
互いの心がふれあう瞬間を大切に、自分にできることを考え、続けていきたい。
16年の記憶の場
2009年4月16日にこの店を始めた。
もうすぐ丸16年になる。
当時は29才の若者だった自分も、今は45才の立派な中年だ。
16年の商いの中で、川底の石のように店も自分自身もまた、様々な流れを経験してきた。
濁流に抗う日々もあれば、静かにたゆたう日々もあり
その過程で余分なものはだんだんと削ぎ落とされてきたように思う。
ただ、どんな時においても
オープン当初からずっと通ってくれているお客さんの存在は、「店としての在り方」を考える上での大切な指標となっている。
店であれ人生であれ、見失ってはいけない信念を心の軸に据える。
あるお客さんの話をしたい。
彼女は、この店がちょうどオープンに向けて準備をしている頃に、家族と共にこの地域に移住してきた。
以来ずっとこの店と伊達市にある姉妹店にご夫婦で通ってくれている。
当店が周年を迎える時にはいつも企画展の初日に来てくれて、移住してきた頃の思い出話をしてくれた。
工事中のこの店の前を車で通るたび、どんな店ができるのかずっと楽しみにしていたと。
ホリデーマーケットの記念日は、自分たちの移住記念日なのだと。
私もいつの間にか、この店の周年のカウントがごく自然に彼女がこの地に越してきてからの年数と結びつくようになっていた。
先月、彼女の急逝を知った。息子さんが姉妹店に伝えに来てくれたのだ。
母が大好きだったmemhouseさんとホリデーマーケットさんには伝えたかった、と。
その言葉を私たちに届けることは、どんなに辛かっただろう。
同時に、彼女の人生において自分たちの店がそんな風に大切な場所として位置づけられていたことに、涙が止まらなかった。
今年の周年企画展の初日に、彼女の姿はやはり無い。
そのことが私はどうしても寂しいのだ。
けれども私はこれからも思い出すだろう。ごく自然に、周年を迎えるたびに、彼女のことをずっとずっと。
この店のなかには、これまでと変わらずこれからも、彼女の姿は在り続ける。
「店」としての大切な存在意義を、17年目を迎える今、彼女は教えてくれた。
店は時として、誰かにとって大切な記憶の場となり得る。
悲しみは無くならないけれど、心の中でこの店をふと思い出した時には、彼女の話をしにいつでも訪れてほしい。
ご家族に、私はそう伝えたい。
そして彼女に、16年のありがとうを。心から。
願いと夢の違い
願いと夢の違いって、なんだと思う?
もうすぐ小学三年になる息子に、こんな問いをもらった。
願いと夢。
なんだろう。違いはなんだろう。
とても深いテーマで、想像上に答えを導き出すのが難しい。
と言っても、正解は無いのだけれど。
うーん…………と暫く時間をもらい考えて、
願いは道のり、夢は道標かな。
私はそう答えた。
すると、息子はこう言った。
ぼくはね、願いは自分とみんなの力で叶えるもので、夢は自分の力で頑張って掴みとるものだと思うんだ。
私は息を呑んだ。
いつの間に、こんなに考えられるようになったのだろう。
これから先の人生で対峙するであろうたくさんの出来事に、自分の心と頭で向き合い考えられる人に、きみならきっとなれる。
雪どけがすすむ春の夜。
素晴らしい問いかけを、ありがとう。
ジブチ
「ママ、世界で一番暑い国ってどこなの?」
三日ほど前、息子が私にこんな質問をした。
恥ずかしながら、そんな疑問を一度も抱くことなく生きてきた私は答えることができず、
その場ですぐに調べてみた。
どうやら、アフリカにある「ジブチ」という国が、そうであるらしい。
それから二人で地球儀を回しながら、ジブチを探す。
どんな国なんだろうね。
とても小さいね。
気温が50℃だなんて、きっとアイスもすぐにとけちゃうね。
そんなことを話しながら、私たちの頭の中は未だ見ぬジブチ一色に。
43年知らずに生きてきたジブチに、息子はたった6年で辿り着いてしまった。
小さな質問から、一気に世界への扉が開いた瞬間だった。
そして今朝、こんなニュースが飛び込んできた。
“スーダン邦人退避へ 自衛隊輸送機のジブチ待機を命令 防衛省”
スーダンの内戦が激化し、スーダンに滞在している邦人約63人を、その近隣にあるジブチの自衛隊活動拠点へ退避させる計画だが、飛行場が主戦場となっており、現時点で輸送機を現地入りさせるのは難しい状況とのこと。
数日前にジブチを調べていなければ、このニュースがこんなにも心に刺さることはなかったかもしれない。
しかしながら、世界では今でもさまざまな場所で戦争が起こり、日常生活さえままならない人々がたくさんいるのだ。
私たちが知ろうとしないだけで。
今日、洞爺湖町町議選挙の期日前投票へ行ってきた。
私たちには、選挙権がある。
自分の声を届けてくれるであろう候補者に希望を託すことのできる機会を、ぜひ無駄にしないでほしい。
選挙がある、投票ができる、ということは
間違いなくひとつの平和のかたちなのである。
紛争地域にいる人々の安全と
戦争のない世界が一日も早く訪れるよう
改めて、各国のリーダーに祈るばかり。
天災とは違い、戦争は人の手で止められるのだから。