essay / 湖畔の思索日誌
トマトの香り
連日30度近い気温が続く。北海道の夏もずいぶん暑くなったものだ。
車の色が黒いことも相まって、日に照らされた車内はサウナのように熱い。
エアコンが効くまでに時間がかかるから、すべての窓を半開にして走る。(※全開は強すぎるので半開がちょうどよい)
なまぬるい風が最大風量で駆け巡りながらのドライブは、インドア属の私が感じられる数少ない「夏のアクティビティ」に等しい。
北海道らしい広大な畑がフロントガラスのみならず、全方位に広がる。
空と入道雲と山々、そして果てなく続く畑を眺めながら車を走らせていると、途中から風がふわっとトマトの香りになった。
運転していなければ目を閉じて感じたいくらい、これは絶対トマトだ。
パズルのピースが埋まるように、完璧な夏を感じた瞬間だった。
後部座席から「トマトのにおいがするね」と子の声がした。
「そうだね」と答える自分の中に、なんとも穏やかな喜びがあった。
1000万の10倍
子どもが夏休みの宿題でつまずいていた。
算数で、大きな数をもとめるものだった。
「1000万の10倍なんてわかんないよ!」と彼は半泣きで叫ぶ。
位を覚えるのが学習の目的なのだろうけど、億という数字は小3にはまったく身近ではないし
大人にとっても日常生活とはかけ離れたかなり大きな数字だ。
実体験が伴わないことを紙上でイメージするのはとても難しい。大人だってそうなのだから、子どもはなおさら。
苦手意識の蓄積は、勉強嫌いにつながっていく。可能性が芽生える前に、好奇心の窓が閉ざされてしまってはもったいない。
今目の前で叫んでいる少年のために、私は何ができるだろうか。
小3と一億をつなげるには、夢と浪漫、そして……
電卓だ…!!!
少年はその小さな指で、10000000×10と打ち込んだ。
100000000という数のゼロの多さに、彼は目を輝かせていた。
いちおくって、こんなにゼロがあるんだねと感動していた。
今日のところは、これで良しとしよう。
●余談●
先日息子と一緒に小樽を訪れた際に、旧日銀の小樽支店に立ち寄った。
そこで「一億円の重さ」を体験できるコーナーがあって、ずっしりと重く感動した。
私たち親子と一億が、初めて結びついた瞬間だった。
Our Open Dialogue vol.3 / わたしたちの「選挙」を語る夜
52.05パーセント。
これは、私が住む国・民主主義国家である日本の国政選挙、前回の参院選の投票率(全体)だ。
年代別での高投票率順は、60歳代の65.69%、次いで50歳代の57.33%、70歳代以上の55.72%となっている。
一番投票率が低いのは、20歳代の33.99%、次に10歳代(18歳19歳)の35.42%、そして30歳代の44.80%となっている。
私が当てはまる40歳代は、ちょうど中間の50.76%だった。
総務省のウェブサイトでは、投票率に関するデータが誰でも閲覧できるようになっている。
それは今回初めて知った。見はじめると結構面白い。
投票を棄権した理由についての意識調査も掲載されていて、その中で一番多かったのは、「選挙にあまり関心がなかったから(35%)」だった。
日本の選挙、特に国会議員を決める国政選挙で、これだけ投票率が低い理由も、
多くの若者が選挙にあまり関心がない理由も、その原因を突き詰めれば見えてくるものがある。
そのひとつとして私が思うのは、日常生活の中での語りづらさにあるのでは、と感じている。
私はまわりの多くの大人から「宗教と政治の話はタブー。争いの原因になるからしてはいけない。」と教えられてきた。
「そうなのか~。」とそのまま政治に触れずに大人になり、いきなり「はい!選挙権です!投票に行こう!」と言われても、正直急に興味がわくわけがない。
とりあえず投票には行くけれども、自主的にというよりは、親に行けと言われてしぶしぶ行っていた20代だった。
今でこそ、両親や姉妹、夫とは政治の話は結構するけれど、いざ外に出ると「政治の話」は腫れ物のように扱われ、 依然しにくさがある。
政治は、政治家のお偉いさんたちが自分たちの生きているレイヤーとは違う場所で行っているもの、という感覚で、驚くほど実生活の中での存在感がまるで無い。
それに私たちは日々の生活を回していくことだけで精一杯だ。
働けど働けど、不思議なほど手元に残らない。税金を納めるために、働いているのかと思うほど負担が大きい。
経済格差、教育格差、男女格差、裏金問題、税金の無駄遣い、環境問題、エネルギー問題、差別やヘイトなどはそこら中に存在していて、社会が良くなっている実感は残念ながら無い。
つまり、私たちが「政治」から遠のけば遠のくほど、苦しさも負担も増すばかり。そんな感覚がずっとある。
もしかして私たち、文句も言わずだまってお金(税金)を出し続けるスポンサー(納税者)だと思われているのでは?
税金を払っているわたしたちには、意見をする権利があるはず。
困っていることや大変なことは、訴える権利もあるはず。
政党がどうとか、右が左がどうとか、そんなことは私たちにあまり関係ない。もっと言うと、どうでもよいことだ。
大事なのは、これからの社会がどうなってほしいか、どんな社会で生きていきたいのかをみんなで考えることだ。
それこそが、「選挙」だ。
7月20日に、3年ぶりの参院選がある。
参議院は、衆議院で可決された予算や法案をじっくり審議する場所だ。
税金がちゃんと社会のために使われているのか、この法案で苦しむ人はいないのか、中立で倫理観を持った人が党派を越えて精査をする。
国会議員一人に当てられる税金は、報酬や特権を含めて年間約6000万円以上。(高すぎるが。)任期は6年だ。解散は無い。
国会議員は、私たちの声と向き合い、予算や法案に反映または審議するという役割を担う。
誰を選ぶのか、ものすごく真剣に考える必要がある。
これは、語りにくさの壁を壊し、対立構造を追い払い、純粋に「選挙」と向き合うチャンスかもしれない。
そう思って、『Our Open Dialogue vol.3 / わたしたちの「選挙」を語る夜』を企画し、7月13日の夜に実施した。
とても長い前置きになってしまった。
今回の対話会は、4人で語り合う夜となった。
今まで何となく曖昧でもやもやしていた「選挙」のよくわからない部分を事前に調べ、以下の構成で進行した。
・そもそも国会って何をするの?
・衆議院と参議院ってどう違うの?
・衆院選と参院選の違いは?
・選挙区と比例代表の違いは?
・特定枠ってなに?
・選挙区の候補者を全員見てみよう
・政党別マニフェストと比例代表の候補者を見てみよう
・政党マッチングの使い方
・自分が今回の参院選で大事にしたいポイントを語ってみよう
私自身、今回この対話会を企画したことで、今までよくわかっていなかった部分がクリアになると共に、
衆院選と参院選で投票方法を変えると、より1票が活きる可能性がある、ということも発見できた。
終戦後の投票率や今現在の投票率を見比べて、それぞれの時代背景などに思いを馳せてみたりもした。
自分にとって大事なのは、どの政党を支持するかよりも、
弱い立場に置かれている人たちの声を理解できる人を選ぶことなのだと気づくことができた。
そして差別や分断を助長する人には投票しない。
私はこれを、今回の参院選の指標にしたい。
わたしたちの「選挙」を語る夜。
語りにくさを乗り越えて、集まってくれた今回のメンバーに
心からの敬意と感謝を。
今度、町議会の傍聴にも行ってみようと思う。
まずは自分の住む町の町政に、関心を持つ。ここから始めてみよう。
Our Open Dialogue vol.2/ 振り返り対話会
Our Open Dialogue vol.1「アウシュヴィッツを訪ねて」の余韻が続くなか、
参加してくれた方から、さらに深める「振り返り会」をしたいとの嬉しいご提案をいただいて、
善は急げとばかりの早さで、その翌週にOur Open Dialogue vol.2「アウシュヴィッツを訪ねて/振り返り対話会」をひらいた。
第一回目は、アウシュヴィッツの旅の体験談も兼ねた対話会で、人数も多かったため、対話のキャッチボールの時間までは確保できなかったことが心残りだった。
なので第二回目は少人数制でひらいてみることに。
少人数ならこの店の中でもできるかもと思い、少しレイアウトを変えてみた。
「閉店後の思索室」というイメージで、店の閉店後に灯りを少し落とした静かな対話のための場所ができた。
16年以上店を続けていて、夜に店を使うことは初めてだったので、新鮮な、というか新たな空間としての使い方を見出せたことも嬉しかった。
この日、夜の思索室に集まった5人でゆっくりと向き合いながら、それぞれが前回の対話会を思い返していた。
そしてひとりが、言葉を発してくれた。
「戦争はいけない、平和が大切だと誰もが思っているのに、一歩家の外に出ると話しにくい空気感がある。例えば原発のことにしても戦争のことにしても、誰かと普通に話してみたいと思っているのに、なぜだかとても発しにくい。そんな風に過ごしていたから、こうして言葉に出しても良いのだと思える空間があってとても嬉しい。」
とてもわかる。その空気感は、私も確かに感じていた。
現在店で開催しているテーマイベント『Think Around Us vol.1/ 戦争がもたらすもの』は、その空気感を少しでも変えて、関心を寄せたり話したりするきっかけになるようにしたいと思い企画した。とはいえ、店のイベントに「戦争」という文字を入れることは、とても勇気のいることだった。きっと距離を取る人も多いだろう。
しかし同時に、こうしたテーマに対して実際どのような反応があるのかを知りたいという純粋な好奇心もあった。
そして、SNS(Instagram)では、とても興味深い結果が出ていた。
『Think Around Us vol.1/ 戦争がもたらすもの』に関連する投稿に対して、"いいね"の数こそ少ないけれど閲覧数が非常に高くなっていた。
「関心」「傍観」「沈黙」がInstagramによって見事に可視化されたわけだけど、いずれにしても興味を示してくれていることがわかったのは嬉しいことだ。
店舗では、「関心」を持つ人が、「来店」というひとつのアクションを起こしてくれているからか、お客さんと戦争について店内で"普通に"話せる機会が増えた。
そんな話を、私から対話会のメンバーにシェアをした。
そしてそこから、
言えない空気って、実際何なんだろうね。
世間にそう思われたくないっていうのは、私たちは具体的に誰に対して忖度してしまうんだろうか。
自分たちの親世代に、「政治と宗教の話はタブーだから、他の人としてはいけない」と言われて育ったことも、言いにくさに関係するのかもしれないね。
親世代は学生運動とか安保闘争とかをリアルタイムで経験しているから、余計そういうマインドになったのかもね。
と、さらに広がっていった。
今回の対話の流れの中で生まれた問いは、
・「言えない空気」って実際何なんだろう…
・SNSの情報と信憑性の精査はどうしてる?
・対立と分断の構造を変えていくには
・加害の立場になったときには
・「選択肢」と「選択の尊重」の理解とは
・無回答や無投票は意思表示になり得るのか
・思考力を育むには
など、次々と興味深いテーマが出てきて、あっという間の2時間だった。
前回も今回も感じたことは、「聞く」ことの重要性。
真剣に耳を傾けてくれる人がいるからこそ、一生懸命自分の言葉で伝えてみようと思えるのかもしれない。
対話会は、「聞く」練習であり、「伝える」練習でもある。
互いを認め合い、尊重し、共に学び合える場にしていきたい。
家族の団らんとも、友だち同士のおしゃべりとも少し違う、暮らしも仕事も趣味も異なる人たちが、同じ「問い」を囲んで対話をする特別な時間。
その後の余韻もまた、良き思索の種となるかもしれない。
今後もOur Open Dialogueは不定期でひらいていこうと思う。
今回初めて閉店後の店内でひらいた対話会は、小さな研究室のようでとても良かった。
当面は少人数制のこのスタイルで続けてみるつもりなので、心とタイミングが重なるときに、だれかと思索の時間を共有できると嬉しい。
太陽(ティダ)の運命
先日、札幌のシアターキノで『太陽(ティダ)の運命』を観てきた。
過去の沖縄県知事の太田昌秀氏と翁長雄志氏が、沖縄の米軍基地問題をめぐり国とどのように闘ってきたのかを描く、佐古忠彦監督渾身のドキュメンタリーだ。
沖縄には、この国の矛盾が詰まっている---筑紫哲也さんのこの言葉が物語っているように、
「米軍基地問題」の蓋を開けると、外交問題のみならず、国と沖縄県の対立、沖縄県内の対立、本土と沖縄県の温度差、国民の無関心が混在する。
そんな私も、無関心な側にいた。
リゾート地としての沖縄。ゆったりとした島時間。何度も訪れた沖縄は、私にとって大好きな「観光地」だったのだ。
もちろん、その側面も沖縄経済にとって大切であるし、これからも応援したいと思っている。
昨年の1月に、両親の金婚式の記念に沖縄旅行を計画した。
両親と私たち三姉妹、そして私の息子を連れた三世代での旅だった。(夫たちは留守番。)
遠出の苦手な母にとっては初めての沖縄で、みんなでひめゆり平和祈念資料館を訪れた。
地上戦で4人に1人の県民が亡くなったと言われる沖縄戦。多くの民間人そして子どもが犠牲になった。
母は、最初から最後まで泣いていた。こんなことになっていたの、知らなくてごめん、知らなくてごめん、と何度も手を合わせながら泣いていた。
母は戦後生まれだけど、世代としてはとても近いから、自分の女学生時代と重なったのだろう。
ひめゆりを知識として知っていることと、実際に彼女たちと同じ場に立つということは、まったく違うのだと実感した。
母と一緒に、家族と一緒に、行けて良かった。
母はずっと、連れてきてくれてありがとう、沖縄の人たちのつらいことを知らずに人生が終わらなくてよかった、ありがとう、と泣いていた。
その後、私たちは自分たちで調べていくつかのガマを巡り、手を合わせてきた。
レンタカーで海沿いを走っている時に、辺野古埋め立てに反対する人たちをよそに土砂を搬入するトラックの列を見た。
心がとても、ざわついていた。
沖縄から戻った私たちは、誰に言われるわけでもなく、それぞれが沖縄戦の映画やドキュメンタリーを観ていた。何かを取り戻すように。
日本は平和だと思っていた。でもそれは、沖縄の犠牲のもとに成り立っているのだと知った。
戦争は過去のことだと思っていた。でも、米軍基地問題は戦後80年の今も続いている。
沖縄は、ずっと闘い続けている。基地が無ければ起こりえない問題や犯罪や分断と。
沖縄と遠く離れた北海道で、米軍基地の無いこの地で、沖縄の不条理に目を向ける責任が自分にはあると感じた。
そんな気持ちで、ひとりシアターキノに向かったのだった。
「基地があるということは、戦争が起きたときに真っ先に狙われるということなんです」という知事の言葉が、ずっと耳に残っている。
太田さんも翁長さんも、政党は真逆なのに、どちらも県民の厚い支持を得た。国を相手に全力で闘った知事だ。
どちらも一貫して、「権力」ではなく「県民」を見ていた。
翁長さんは辺野古移設の承認を巡って国に起訴された際に言っていた。
「自分はきっとつぶされる。国の力に勝てるとは思っていない。だから、全力で県民のために闘い、つぶされていく理不尽な姿を日本の全国民に見せるためにここにいる。」
国や地方を動かす人を選ぶとき、候補者が「どちらを向いているのか」をしっかり見極めたい。
同時に自分自身もまた、「利権」ではなく「権利」のために考えられる人間でありたいと思う。
沖縄には必ずまた行く。
その時は、更に深く歴史と今を心で感じる旅にしたい。
本日は、沖縄慰霊の日。
世界情勢が再び悪化の一途を辿る今日、改めて心から恒久平和を願う。