essay / 湖畔の思索日誌
民主主義の質と今回の衆院選
60年ぶりと言われる通常国会冒頭解散。戦後最短の16日間の選挙戦が始まった。
「私で良いのか決めていただきたい」
高市総理は解散の大義としてそう述べたが、総理を決めるのは直接投票ではないし、評価しようにも就任されてからまだ日が浅く判断材料が何も無い。
しかしながら総理の権限で解散されてしまった以上、衆院選はすぐにやって来る。
前回の参院選の時のように投票前の候補者分析と対話会をしたかったけれど、2月4日から2週間ほど海外へ行くため、スケジュールを組むことができなかった。
投票日は2月8日。もちろん期日前投票をしてから出国する。
公示が1月27日だから、期日前投票は1月28日から可能。早めに選挙公報を手に入れて、自分の一票を決めたい。
そう思い27日に洞爺湖町役場の選挙管理委員会に問い合わせたところ、選挙公報が洞爺湖町に届くのは1月30日とのこと。
さらに同時に実施される最高裁判所裁判官の国民審査の期日前投票は、2月1日からしかできない。
全然間に合っていないではないか。まだ何も手元に情報がない。国民の知る権利は何処へ。
もちろんこれは自治体に落ち度は無い。相当に強引で無茶な解散であるということだ。
民主主義の質が底辺まで落ちた。そう感じた今回の突然の衆議院解散。
私なりに今回の解散から衆院選までを整理してみた。もし参考になれば、投票前のひとつの判断基準にしてほしい。
【異例の早さの衆議院解散】
まず、前回の衆院選からまだ1年3ヶ月ほどしか経っていない。衆議院議員の任期は四年であるのに。
ここで一度、数字を置いておきたい。
前回の衆院選(2024年10月)に投じられた税金は約700億円以上。もちろん今回もそれくらいの税金が投じられるのであろう。
任期が満たないうちの解散が常態化することで、巨額の選挙費用・国会審議の空白・政策の中断・自治体にのしかかる負担が繰り返し発生することを忘れてはいけない。
今回の突然の衆議院解散で発生する自治体への大きな負担に対して、杉並区長・岸本聡子さんを含む首長は異議を唱え、『衆議院解散に伴う自治体首長の緊急声明』への賛同を呼びかける動きも出ているので参考にしてほしい。
参考サイト:選挙ドットコム
【北国の事情無視の衆院選】
なぜこの時期に…。北国で暮らす多くの人はそう感じたであろう。
真冬の選挙は、投票に行く国民、立候補する候補者、投票業務を担う自治体すべてにとって負担が大きく、まったくもってフェアではない。
あまりにも霞ヶ関目線でしか衆院選を見ていないのだと感じた。
大雪や吹雪、それに伴う除雪作業、高齢者や障害がある人にとって困難を極める冬の外出、投票所までの距離、交通機関の乱れ。
ざっと考えただけでもこれくらいの想像はつくはずで、実質的な投票障壁が発生する。
とてもじゃないけど、一票に平等性を感じられない今回の衆院選。都市部基準の民主主義としか言えない。
さらに自治体は、いつもの業務にプラスして選挙業務がのしかかる。
「私で良いのか決めていただく」のが解散の大義ならば、せめて多くの国民の心が落ち着く5月以降にしてほしい。
【考える時間を与えない衆院選】
解散から投票日までがあまりにも短すぎる今回の衆院選。
候補者を立てる時間も、候補者を知る時間も、猶予が殆ど与えられず
政策論争も深まらず、メディアの報道すら追いついていない。
さらに衆院選では最高裁判所裁判官の国民審査も同時に行われる。
これは不信任の裁判官に×をつけるものだが、情報が圧倒的に少なく調べる時間がほとんどない。
故によくわからないから何も書かない国民が多く、制度上の深刻な問題にもなっている。
三権分立は建前としては存在するが、内閣が突然解散を決め、司法と立法の要を決める選挙や審査がこの状況では、国民のチェック機能が十分に働いていないとも言える。
国民に信を問うならば、しっかりと考える時間も保障した上での選挙にしてもらいたい。
大きな権限を持つ最高裁判所裁判官がこのように簡単に決められるのならば、ひとつの問題提起として私は全ての裁判官に×を付けようと思う。
民主主義の質が底辺まで落ちたと感じるのは、結局は国民主権であると見せかけて内閣主権・国家主権になっていると言わざるを得ないからだ。
解散の判断を内閣が単独で決め、
時期や日程を行政が主導し、
国会は一方的に停止され、
国民は短期間で判断を迫られる。
これは国民が主権者であるとは言えず、実質的な自動承認装置になっているにすぎない。
「国民の信を問う」という言葉を免罪符のように使うけれども、結局その解散の真意は誰の目にも明らかである。
今解散すれば有利、今選挙をやれば勝てる。
その思惑がはっきりと「透けて」見える衆院選だ。
だからこそ、一票の重さを考えて投票に行ってほしい。
私は絶対にヘイトや差別に投票しない。
私は命を軽んじる人には投票しない。
私は平和を重んじる人に投票する。
私は利権ではなく権利のために生きる人に投票する。
私は、自分の一票は、自分で決める。
どうしたら世界はもっと良い方へ向かうのか、そのことを考えたい。
森の歓迎
晩秋の入り口の或る日、車を走らせていた。
どの季節が一番好きかと問われたら、迷い無く秋だと答える。中でも秋の終わりの始まりがいい。
湖を眼下に国道を走る。休日だからなのか、いつもよりも交通量が多い。
道路沿いの山林の木々はその殆どが山吹色に染まり、吹く風と車の往来による風で無数の葉が舞い散り、そして舞い上がっていた。
秋晴れの空とのコントラストが美しく、こんなにも空色と黄色の相性が良いことを今更ながら季節に教えてもらう。
その時、後部座席にいた子がつぶやいた。
「森に歓迎されてるみたいだね」
はっとして、目の前に広がる景色を見直す。なんということだ。
これ以上無いほど言い得て妙なその瞬間の美しさをさらりと言い放ち、子は車窓を眺め続けていた。
こどものなかに存在する無限のスペースには、すっかり凝り固まってしまった私の脳内では生まれないものがたくさん浮遊している。
時々放出してくれるその一部を、私はただひたすら感服し受け取るだけだ。
子育てという言葉が好きではない。なぜならば、子はいつだって私の遙か先にいるのだから。
山吹色のトンネルで歓迎を受けながら、そんなことを考えていた。
もうすぐ冬が来る。
○○人ファーストのその先に
「宇宙からは、国境線は見えなかった」
これは、かつて宇宙飛行士の毛利衛さんがスペースシャトルでの宇宙飛行から帰還されたときに語った言葉だ。
今こそ多くの人に届いてほしい。
人間の人間による区分けほど愚かなものはない。
人間に対しても、すべての生き物や自然環境に対しても。
国境は人間が勝手に決めたもの。他の生き物や自然界には関係の無い話だ。
所謂「人種」もまた人間が勝手に決めたもの。山奥に放り出されたら、無力なひとつの命でしかないのに。
日本人って何だろう。
日本国籍を持つ人?日本で生まれた人?日本で暮らす人?税金を納める人?見た目のこと?話す言葉?日本が好きな人?日本を大事にする人?
考えれば考えるほど曖昧で、突き詰めれば突き詰めるほど意味が無い。
未だ解明されない果て無き宇宙の中の、銀河系の中の太陽系の中の、小さなひとつの惑星の中で
一人の人間が持てる時間など塵にも満たない。夜空を見上げれば何万年も前の光が瞬いている。
一瞬で消える一生を、存在もしない区分けと排除に費やしたその先に、いったい何があるのだろう。
それどころか人間のおかげで地球温暖化は猛スピードで進み、人間同士で争っている猶予など、そもそも無い。
自分が地球で最も愚かな生き物に属することを反省しながら、せめて森羅万象のなかで巡る命には敬意を持ちたい。
すべては海から生まれ、つながっているのだから。
家のとなりの大きな木
私が生まれる前からずっとそこにあった家のとなりの大きな木が、今日伐採されることになった。
このまま伸び続けると倒木の危険があり、周囲の建物を巻き込む可能性が高いということだった。
自分の土地に生えている木では無いから、そのことについてどうこうする余地もないのだけれど
長年当たり前にそこにあった木が、たった一日で無くなってしまうのかと考えると、心にずんと虚しさが広がる。
伐採の作業をしていた人に、その木の樹齢を聞いてみた。私のそばで話を聞いていた妹は、目を少しうるませていた。
空に向かってのびのびと育ち続けたトドマツは、60~70年くらいということだった。そうか、母が子どもの頃からそこにあるということか。
切られる今日までそんなことも知らずにいた。
60~70年前に、誰かが植えたトドマツ。その木のとなりで私たちは育った。
木からはきっと、いつも私たちが見えていたのだろう。家族や時代の移ろいをすべて、ただ静かに流れるように。
自分たちの人生がそばにあったというだけで、
こんな感情が込み上げてくる自分もまたなんて勝手なんだろうと自覚しつつも
ただ伐られる運命のその時を相変わらず静かに待つトドマツを前に、やはりどうしても私は寂しい。
今朝は妹が一緒でよかった。
今日しかない
わたしたちには今日しかない
だれにも等しく今日しかない
今日しかないのに今よりも
向こうのことをかんがえて
今日のなかみはふわふわと
どんどんうしろへ遠ざかる
