essay / 湖畔の思索日誌

2026-09-09 14:00:00

【読了録】 月ぬ走いや、馬ぬ走い

月イチ文學倶楽部

◆8月のテーマ図書◆

豊永浩平 『月ぬ走いや、馬ぬ走い/講談社文庫』

 

第67回群像新人文学賞、第46回野間文芸新人賞、第11回沖縄書店大賞(小説部門)をトリプル受賞し、2024年琉球大学在学中の21才にして鮮烈なデビュー作となった本作。 戦中から現代までの14人の語りを通して、まったく新しい角度から沖縄80年史を描いた作品。

 

私は結果として三度読み重ねた。 このような文章構成は初めてだった。

時代背景の異なる14人の語り、つまり一人称による「声」のみが、最初から最後までノンストップで描かれている。

14人の声=14章は、一見途切れているようでいて、実は文末から次の文頭への繋がりを持ち続ける。

 

一度目はこの構成に理解が追いつかず、とにかくまずは最後まで読んで全容を把握するため、多くの「?」を残しつつ読み終えた。

いったい誰が語っているのか。それが文中で推測できる章もあれば、語り主が正体不明で一度読みだけでは把握できない章もある。

 

二度目は、声の主の推測(名前など)、この14人の生きている時代背景の分析、語りの中に存在するキーワード、現時点での生死などを、登場順にノートに書き出してみることにした。

すると、一度目には理解できていなかった現代から過去への連なりが浮き出るように見えてきたのだ。

 

語り主たちの繋がりを感じながら読む三度目は、一度目とはまったく異なる、時代を越えて余韻を残す奥深い読了感となった。

 

沖縄のお盆、「道巡礼(ミチジュネー)」の季節に、14人を通して語り紡がれていく声と、

時代を越えても尚断ち切れぬ、苦しみの象徴とも言える彷徨う「軍刀」は、

太平洋戦争から今現在にも繋がる沖縄の人々の歴史であり日常だ。

 

多くの県民が犠牲になった地上戦、組織的戦闘終結後の収容キャンプ生活、占領下で常態化する性暴力、同じ日本でありながらパスポートが無ければ移動が許されない返還前の沖縄、沖縄基地から多くの米軍機が出立したベトナム戦争、学生運動や闘争の追い風で過激な暴力行為と権利の狭間で苦しむ若者たち、貧困と性被害の連鎖から抜け出せない現代の母娘、過去から今までの不条理も含めて必死で生きてきた証を歌に込める高校生たち…。

 

私たちの知る沖縄戦の歴史は、教科書の2ページにも満たない断片に過ぎない。

しかし当然ながら歴史はパーツで存在しているわけではない。

一人の紐を引けば、そのルーツに多くの人や出来事が絡みつきながら繋がり合っている。

 

島尻・ケンドリック・浩輔という現代を生きる少年の語りから始まり、お盆のさいごの日「お送り(ウークイ)」にかーなー(かなちゃん)という少女の語りで終わるこの物語。

2人の間に存在するのは、 14人の向こうに広がる何百万何千万という魂なのだろう。

魂込め(マブイグミ)で拾うことのできた魂も、まだ彷徨う魂も含め。

 

タイトルでもある「月ぬ走いや、馬ぬ走い」の引用は、小説の中にもたびたび登場する。

その意味は、この81年の沖縄の歩みを知ろうとしなければ見えないのかもしれない。

 

この小説を読み終えた時に、2年前にシアターキノで観た「太陽(ティダ)の運命」を思い返していた。

沖縄の歴代知事のうち、社会党出身の太田知事と自民党出身翁長知事にスポットを当てたドキュメンタリーだ。

党としては相反する立場の二人の知事ではあるが、ともに沖縄の未来を見つめ、保革の壁を越え、「二度と沖縄を捨て石にしない」その一心で、盾となって沖縄の声を国に訴え続けた。

「沖縄には、この国の矛盾が詰まっている」

かつてそう表現したのは筑紫哲也さんだ。

 

そしてまさに今、沖縄県知事選の投票日が近づいている。

今回の知事選におけるSNSでの誹謗中傷やデマ、印象操作などの投稿の9割は、県外からの発信だという。

翁長さんの意志を継ぐ玉城デニー現知事の行く末を注視している。

どの候補が選ばれたとしても、沖縄の人たちの選択を見届け、その場限りでなく今後も関心を持ち続けることが一番大切だと思っている。

 

最後に、今年の沖縄慰霊の日に玉城デニー知事によって述べられた2026年の平和宣言を記載したい。

なおこの宣言は、沖縄県の公式ウェブサイトで誰でも閲覧できるようになっている。

 

【玉城デニー知事の平和宣言 2026年沖縄全戦没者追悼式】

 

81年という年月の長さに、思いを馳(は)せます。

 あの日、

  今と変わらず照りつける太陽の下(した)で、

  一筋の光も届かない壕(ごう)の、真の暗闇の中で、

  いつ止(や)むか分からぬ砲弾の中で、

  あるいは、逃げ込んだ先で罹患(りかん)したマラリアの苦しみの中で、

 生きることを渇望し、かなわなかった、20万を超える命。

 沖縄には今も、その東西の果て、南北のすみずみに至るまで、悲劇の記憶が残されています。

 

今や、沖縄県民の9割以上が沖縄戦を直接に体験しない世代となりました。それでも、わたしたち沖縄県民が、地獄と言われた日々を我がことのように感じ、再びこのようなことを起こさせまいと決意を新たにできるのは、絶えることなく鎮魂と慰霊の営みを続けてきた方々、「後世のために」と子や孫へ、あるいは学校や地域で凄惨(せいさん)な体験を語りついだ方々、さらに、惨劇の舞台となった場所を保存し続けてきた方々の長年の努力の成果にほかなりません。

全てを失ったと言っても過言ではない81年前のあのときから、今日(こんにち)のような美しい島々を取り戻すまでに、先人たちの懸命の努力があったことを、わたしたちは忘れてはなりません。しかしながら、沖縄には今なお広大な米軍基地が存在し、過重な基地負担と基地から派生する諸問題により人間の安全保障が脅かされる現状が続いています。特に、合意から30年が経過しても返還がなされない状況にある普天間飛行場については、一方的な押し付けではない、日米両政府と県の対話による解決を求めています。沖縄県は、一日も早い普天間飛行場の返還をはじめ、過重な基地負担の軽減を訴え続けます。

 

 「沖縄戦の実相にふれるたびに 戦争というものは これほど残忍で これほど汚辱にまみれたものはないと思うのです」

 

沖縄県平和祈念資料館には、この言葉で始まる「むすびのことば」が掲げられています。しかし、特に近年、大国の力による一方的な現状変更の試みによって国際秩序が揺らいでいる状況は、平和を希求する沖縄県民の、そして世界中の人々の願いから最もかけ離れたものだと言わざるを得ません。

 

戦争は、たとえ遠い国のことであっても決して対岸の火事ではありません。世界中が経済のつながりなどをいっそう緊密にしている現在、他国の軍事衝突が直接・間接に生活に深刻な影響を及ぼすことを、今、わたしたちは身をもって否応(いやおう)なしに経験しています。

 

折しも今年は核拡散防止条約の再検討会議が開催されるも、成果文書の採択には至りませんでした。核拡散への懸念が高まる状況であるからこそ、わたしたちはいっそう、平和と核廃絶を訴えてゆかねばなりません。戦争という手段を否定し、あらゆる戦争に反対し、戦争によらない課題解決を追求することにより、日本国憲法にも国民の念願とうたわれている恒久の平和と、その過程としての核廃絶を目指すことは、空虚な理想論などではなく、取り組むべき責務として求められているのです。

 

この摩文仁(まぶに)の地には、沖縄戦で命を落とした方々のお名前を、敵味方・国籍などの分け隔て無く記すことを理念とした平和の礎(いしじ)があります。また、アジア太平洋地域の平和の構築・維持に貢献した方々を顕彰する沖縄平和賞は、今年、第13回の贈賞を行うほか、県内で平和につながる身近な社会貢献活動に取り組む方々を「ちゅらうちなー草の根平和貢献賞」として表彰しています。このように、あの筆舌に尽くしがたい経験を受け継ぎ、平和のこころを広く国内外に発信しようとする沖縄だからこそ、世界平和の実現のために貢献していく必要があります。

 

沖縄県では、沖縄戦の実相・教訓とこれまでの研究の蓄積をもとに、恒久平和と人間の安全保障の確立を実現させるため、戦後100年に向けてわたしたちが進むべき方向を示したビジョンを策定します。

 

わたしたちは、かつてこの地で繰り広げられた出来事を次の若い世代へ責任を持って正しく伝え、平和について学び考える歩みを続けながら、世界平和の懸け橋としての役目を担い、平和創造の拠点、国際協力・貢献のための拠点として世界の中で確固たる地位を築いてまいります。

 

 数多(あっさ)ぬ人々(ちゅぬちゃー)ぬ惜(あた)ら命(ぬち)宝(だから)奪(ぼー)たる沖縄(うちなー)の大戦(うふいくさ)ぬ生(い)き(ち)地獄(じぐく)や今(なま)ん胸(んに)深(ふか)さんかい刻(きじゃ)み込(く)まっとーやびーん。我々(わったー)や戦争(いくさ)ぬ生(い)き(ち)哀れ(あわり)んでぃし共有(わきわきー)っし、二度(にどぅ)とぅ彼(あ)ぬよーな愚行(ふりぐとぅ)や繰(く)い返(けー)ちぇーないびらん。

 遠方(かーま)ぬ国(くに)をぅてぃぬ戦争(いくさ)やらわん我々(わったー)暮(く)らしにん悪影響(じゃーふぇー)ぐとぅ及(うゆ)ばすんでぃる現実(みーぬめー)ぬくとぅんかい、何処其処(まーんまーん)ぬ国(くに)ぬ戦争(いくさ)やてぃん「戦争反対(いくさやならん)」んでぃち大声(うふぐぃー)っし叫(あ)びらんとーないびらん。世果報世(ゆがふーゆー)実現(すび)なすんでぃるくとぅや単ぬ理想(ただぬうむいかんげー)やあらん。取組(しかき)らんとーならん責任(すくぶん)んでぃし背負(かたみ)らさっとーやびーん。

 我(わ)した沖縄(うちなー)や、戦争(いくさ)ぬ哀(あわ)り受(う)き継(ち)じょーるくぬ沖縄(うちなー)ぬどぅ世果報世(ゆがふーゆー)んかいぬ貢献(うさぎむん)やないるんでぃる確信(うむい)かきてぃ、世界(しけー)ぬ人々(ちゅぬちゃー)とぅ共々(まじゅん)なてぃ、うぬ役割果たす(むちめーしーなす)んでぃし、此処(くま)をぅてぃ宣誓(やくすく)さびーん。

 

本日、慰霊の日に当たり、犠牲になられた全ての御霊(みたま)に心から哀悼の意を表するとともに、世界の恒久平和・核廃絶に沖縄が貢献する未来を目指して、不戦を誓い、反戦を訴え、非戦の道を探求することを決意し、ここに宣言します。

 

 

◆しまくとぅば(沖縄の言葉)・英語の意訳

 あまたの人々の命を奪った沖縄戦の悲劇は今も深く刻まれている。我々は戦争の悲惨さを共有し、二度と愚かな行為を繰り返してはならない。

 遠い国の戦争でさえも暮らしに影響する現実に対し、あらゆる戦争に反対すること、平和を実現することは単なる理想ではなく、取り組むべき責任が求められている。

 沖縄県は、戦争体験を受け継ぐ沖縄こそが平和に貢献できると信じ、世界の人々とともにその役割を果たすことをここに誓う。

 

2026-08-02 15:46:00

【読了録】海と毒薬

◆7月のテーマ図書◆
遠藤周作 『海と毒薬/講談社文庫』



第二次世界大戦末期に実際に行われた、九州大学医学部の米軍捕虜に対する生体解剖事件をモデルに、対照的な二人の医局員・勝呂と戸田の心情を通して、宗教的倫理観が身近ではない日本人の精神風土と、罪の意識や良心の所在を根源的に問う遠藤周作の代表作で、1958年に刊行されて以来、今なお多くの書店で販売されていることが物語っている通り、時代を越えて読み継がれている作品。
7〜8月は戦争文学を数冊、テーマ図書の選定候補に入れていたので、この作品を参加者に選んでもらえて嬉しかった。

私は講談社文庫の『海と毒薬』を、長崎の遠藤周作文学館を訪れた際に購入した。
書店で見かけるのは新潮文庫の本作が多く、今回の読了会で持参してもらった書籍も私以外は新潮文庫だったけれど、表紙のデザインや裏表紙のあらすじも新装版とそうでないものとは違っていて、さまざまな「海と毒薬」が一堂に会した貴重な時間となった。講談社文庫と新潮文庫で文字のサイズやカーニングも微妙に異なり、講談社文庫の方がやや大きく、その分ページ数も多くなっていた。

新宿から電車で1時間の西松原住宅地に越してきた「私」の一人称で始まる物語は、事件の舞台である大学病院にシーンが移ると三人称に切り替わるが、事件当事者の看護婦・上田の手記や、戸田の回顧録では一人称になり、勝呂に関しては最後まで三人称で綴られている。その分多様な視点や心情を体感することができる。

命を救う立場の医局員12名が起こした、生きたままの人間を解剖するという行為は、それだけを取り出すと常軌を逸した悪質な犯罪であることは紛れもない事実であるが、そこに至る過程と、とりまく環境、当事者たちの心情の変化を多面的に分析しないと、この小説の本質が見えてこない。

「みんな死んでいく時代」という表現が何度か出てくる。戦場で、空襲で、病気で、飢えで、生きることが難しく、死ぬことが明日の現実だった時代に、死への感覚が麻痺していたこと。

勝呂のように、良心の呵責による自責や葛藤を抱えながらも、集団的倫理観(ここでは所属する医局内の派閥の空気感など)に流され、同じことがまた起きたとしても抗う自信が無いことを自覚し、個人の道徳観とともに自らの人生も埋没していく人間。

戸田のように、個人の道徳観が圧倒的に欠如し良心の呵責を感じることなく生きてきて、醜悪なことだと分かっていても社会的に罰せられなければ問題はないと考え、あの事件すらも今後の医療の発展のためだと捉える人間。

主任教授である橋本の妻・ヒルダのように恵まれた環境に身を置く敬虔なクリスチャンで、「神の存在」という宗教的倫理観を規範に生きる者と、すべてを失い満州から引き上げ孤独を抱えて生きる看護婦上田の交差し得ない良心の所在。

今自分の中に感じる「良心」というものが、どこから生まれてくるものなのか。
私たちが「良心の呵責」や「罪悪感」を感じる時、それは「個人の善性」に対するものなのか、それとも「一神教の神」に対するものなのか、あるいは「他人や社会の目」に対するものなのか。

掘り下げれば掘り下げるほど深みに嵌る、自分としては今後も考え続けたいテーマだ。



小説の前半と最後に引用されている詩が気になったので調べてみると、立原道造の「雲の祭日」という作品だった。

羊の雲の過ぎるとき
蒸気の雲が飛ぶ毎に
空よ お前が散らすのは
白い しいろい 綿の列

勝呂が屋上で口ずさむ、この詩の隠れた大きな意味を、ぜひこれから読む人には自分で見つけに行ってほしい。



今回の読了会で、「海と毒薬」の続編が新潮文庫から出ていることを知り、早速取り寄せた。
勝呂のその後を、追い続けてみたい。

あと恒例の勝手にキャスティングでは
看護婦長大場さんは江口のりこさんに決定。

2026-06-28 15:22:00

【読了録】水たまりで息をする

主宰している月イチ文學倶楽部の、6月のテーマ図書は高瀬隼子さんの「水たまりで息をする」だった。

 

ある日を境に風呂に入ることを拒絶し、発する「におい」により社会から静かに逸脱していく夫と、「こうした方がいい」という社会規範に合わせて群れなす方へ泳ぐように生きてきた衣津実。

「食べられない」などとは違い、すぐに死には直結しない「風呂に入らない」という行為の受け止め方は、夫という血のつながらない家族であるからこそ想像を絶するほど理解が難しい。

軽視されがちな「心の闇」の見えにくさを、通りすがれば誰もが気づく「不快なにおい」として社会に向けるこの小説の構成は、読めば読むほど発見がある。

風呂文化と清潔感が結びつき、パブリックスペースの無臭消臭が暗黙のルールでもある日本社会の中には、嗅覚での厳しいジャッジは確かに存在する。
仮にこれが、川での沐浴文化や多様なにおいが存在するインドであったなら、違う結末だったのかもしれない。

「水たまり」とは、おそらく生きづらさを抱える当人たちの世界や生活環境であり、私たちの生きる社会の穴でもある。

自分が身を置く水たまりで何とか息をして持ちこたえられる衣津実のような人間もいれば、生きるために必要な自分に合う水を見つけられずに、水たまりで息絶えたり、行き場を失い、追われ、流されてしまう人間もいる。

気休めのハッピーエンドで終わらせず、これが希望なのか絶望なのか、読者に考えさせる余白を残してくれる作品だった。

人は人に厳しい。何らかのかたちで逸脱する人を途端にジャッジする。自分が穴に落ちるわけがないと思っている。

今の状態のまま、老後まで平和に年を重ねていくのだろうと思っていた36歳の衣津実の身に起こることも、

社会生活に感じる痛みが蓄積し、自分の垢とにおいこそが社会から我が身を保護する最強の鎧となってしまう35歳の研志の逸脱も、

実はさまざまなかたちでこの社会に数えきれぬほど存在する。見えない、見せない、見ようとしないだけで。

誰もが明日、今日の自分ではいられない可能性を持っている。



風呂にほとんど入らない愛猫を、何の苦もなく抱きしめることができるのと同じくらいの寛容性を、人にも向けたいと思うのだった。

 

2025-06-23 16:12:00

太陽(ティダ)の運命

 

先日、札幌のシアターキノで『太陽(ティダ)の運命』を観てきた。

https://tida-unmei.com/

 

過去の沖縄県知事の太田昌秀氏と翁長雄志氏が、沖縄の米軍基地問題をめぐり国とどのように闘ってきたのかを描く、佐古忠彦監督渾身のドキュメンタリーだ。

 

沖縄には、この国の矛盾が詰まっている---筑紫哲也さんのこの言葉が物語っているように、

「米軍基地問題」の蓋を開けると、外交問題のみならず、国と沖縄県の対立、沖縄県内の対立、本土と沖縄県の温度差、国民の無関心が混在する。

 

そんな私も、無関心な側にいた。

リゾート地としての沖縄。ゆったりとした島時間。何度も訪れた沖縄は、私にとって大好きな「観光地」だったのだ。

もちろん、その側面も沖縄経済にとって大切であるし、これからも応援したいと思っている。

 

 

昨年の1月に、両親の金婚式の記念に沖縄旅行を計画した。

両親と私たち三姉妹、そして私の息子を連れた三世代での旅だった。(夫たちは留守番。)

遠出の苦手な母にとっては初めての沖縄で、みんなでひめゆり平和祈念資料館を訪れた。

地上戦で4人に1人の県民が亡くなったと言われる沖縄戦。多くの民間人そして子どもが犠牲になった。

母は、最初から最後まで泣いていた。こんなことになっていたの、知らなくてごめん、知らなくてごめん、と何度も手を合わせながら泣いていた。

母は戦後生まれだけど、世代としてはとても近いから、自分の女学生時代と重なったのだろう。

ひめゆりを知識として知っていることと、実際に彼女たちと同じ場に立つということは、まったく違うのだと実感した。

母と一緒に、家族と一緒に、行けて良かった。

母はずっと、連れてきてくれてありがとう、沖縄の人たちのつらいことを知らずに人生が終わらなくてよかった、ありがとう、と泣いていた。

その後、私たちは自分たちで調べていくつかのガマを巡り、手を合わせてきた。

レンタカーで海沿いを走っている時に、辺野古埋め立てに反対する人たちをよそに土砂を搬入するトラックの列を見た。

心がとても、ざわついていた。

 

 

沖縄から戻った私たちは、誰に言われるわけでもなく、それぞれが沖縄戦の映画やドキュメンタリーを観ていた。何かを取り戻すように。

 

日本は平和だと思っていた。でもそれは、沖縄の犠牲のもとに成り立っているのだと知った。

戦争は過去のことだと思っていた。でも、米軍基地問題は戦後80年の今も続いている。

沖縄は、ずっと闘い続けている。基地が無ければ起こりえない問題や犯罪や分断と。

沖縄と遠く離れた北海道で、米軍基地の無いこの地で、沖縄の不条理に目を向ける責任が自分にはあると感じた。

 

 

そんな気持ちで、ひとりシアターキノに向かったのだった。

「基地があるということは、戦争が起きたときに真っ先に狙われるということなんです」という知事の言葉が、ずっと耳に残っている。

太田さんも翁長さんも、政党は真逆なのに、どちらも県民の厚い支持を得た。国を相手に全力で闘った知事だ。

どちらも一貫して、「権力」ではなく「県民」を見ていた。

翁長さんは辺野古移設の承認を巡って国に起訴された際に言っていた。

「自分はきっとつぶされる。国の力に勝てるとは思っていない。だから、全力で県民のために闘い、つぶされていく理不尽な姿を日本の全国民に見せるためにここにいる。」

 

国や地方を動かす人を選ぶとき、候補者が「どちらを向いているのか」をしっかり見極めたい。

同時に自分自身もまた、「利権」ではなく「権利」のために考えられる人間でありたいと思う。

 

 

沖縄には必ずまた行く。

その時は、更に深く歴史と今を心で感じる旅にしたい。

 

本日は、沖縄慰霊の日。

世界情勢が再び悪化の一途を辿る今日、改めて心から恒久平和を願う。

 

 

 

 

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