essay / 湖畔の思索日誌

2025-06-23 16:12:00

太陽(ティダ)の運命

 

先日、札幌のシアターキノで『太陽(ティダ)の運命』を観てきた。

https://tida-unmei.com/

 

過去の沖縄県知事の太田昌秀氏と翁長雄志氏が、沖縄の米軍基地問題をめぐり国とどのように闘ってきたのかを描く、佐古忠彦監督渾身のドキュメンタリーだ。

 

沖縄には、この国の矛盾が詰まっている---筑紫哲也さんのこの言葉が物語っているように、

「米軍基地問題」の蓋を開けると、外交問題のみならず、国と沖縄県の対立、沖縄県内の対立、本土と沖縄県の温度差、国民の無関心が混在する。

 

そんな私も、無関心な側にいた。

リゾート地としての沖縄。ゆったりとした島時間。何度も訪れた沖縄は、私にとって大好きな「観光地」だったのだ。

もちろん、その側面も沖縄経済にとって大切であるし、これからも応援したいと思っている。

 

 

昨年の1月に、両親の金婚式の記念に沖縄旅行を計画した。

両親と私たち三姉妹、そして私の息子を連れた三世代での旅だった。(夫たちは留守番。)

遠出の苦手な母にとっては初めての沖縄で、みんなでひめゆり平和祈念資料館を訪れた。

地上戦で4人に1人の県民が亡くなったと言われる沖縄戦。多くの民間人そして子どもが犠牲になった。

母は、最初から最後まで泣いていた。こんなことになっていたの、知らなくてごめん、知らなくてごめん、と何度も手を合わせながら泣いていた。

母は戦後生まれだけど、世代としてはとても近いから、自分の女学生時代と重なったのだろう。

ひめゆりを知識として知っていることと、実際に彼女たちと同じ場に立つということは、まったく違うのだと実感した。

母と一緒に、家族と一緒に、行けて良かった。

母はずっと、連れてきてくれてありがとう、沖縄の人たちのつらいことを知らずに人生が終わらなくてよかった、ありがとう、と泣いていた。

その後、私たちは自分たちで調べていくつかのガマを巡り、手を合わせてきた。

レンタカーで海沿いを走っている時に、辺野古埋め立てに反対する人たちをよそに土砂を搬入するトラックの列を見た。

心がとても、ざわついていた。

 

 

沖縄から戻った私たちは、誰に言われるわけでもなく、それぞれが沖縄戦の映画やドキュメンタリーを観ていた。何かを取り戻すように。

 

日本は平和だと思っていた。でもそれは、沖縄の犠牲のもとに成り立っているのだと知った。

戦争は過去のことだと思っていた。でも、米軍基地問題は戦後80年の今も続いている。

沖縄は、ずっと闘い続けている。基地が無ければ起こりえない問題や犯罪や分断と。

沖縄と遠く離れた北海道で、米軍基地の無いこの地で、沖縄の不条理に目を向ける責任が自分にはあると感じた。

 

 

そんな気持ちで、ひとりシアターキノに向かったのだった。

「基地があるということは、戦争が起きたときに真っ先に狙われるということなんです」という知事の言葉が、ずっと耳に残っている。

太田さんも翁長さんも、政党は真逆なのに、どちらも県民の厚い支持を得た。国を相手に全力で闘った知事だ。

どちらも一貫して、「権力」ではなく「県民」を見ていた。

翁長さんは辺野古移設の承認を巡って国に起訴された際に言っていた。

「自分はきっとつぶされる。国の力に勝てるとは思っていない。だから、全力で県民のために闘い、つぶされていく理不尽な姿を日本の全国民に見せるためにここにいる。」

 

国や地方を動かす人を選ぶとき、候補者が「どちらを向いているのか」をしっかり見極めたい。

同時に自分自身もまた、「利権」ではなく「権利」のために考えられる人間でありたいと思う。

 

 

沖縄には必ずまた行く。

その時は、更に深く歴史と今を心で感じる旅にしたい。

 

本日は、沖縄慰霊の日。

世界情勢が再び悪化の一途を辿る今日、改めて心から恒久平和を願う。

 

 

 

 

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