essay / 湖畔の思索日誌
太陽(ティダ)の運命
先日、札幌のシアターキノで『太陽(ティダ)の運命』を観てきた。
過去の沖縄県知事の太田昌秀氏と翁長雄志氏が、沖縄の米軍基地問題をめぐり国とどのように闘ってきたのかを描く、佐古忠彦監督渾身のドキュメンタリーだ。
沖縄には、この国の矛盾が詰まっている---筑紫哲也さんのこの言葉が物語っているように、
「米軍基地問題」の蓋を開けると、外交問題のみならず、国と沖縄県の対立、沖縄県内の対立、本土と沖縄県の温度差、国民の無関心が混在する。
そんな私も、無関心な側にいた。
リゾート地としての沖縄。ゆったりとした島時間。何度も訪れた沖縄は、私にとって大好きな「観光地」だったのだ。
もちろん、その側面も沖縄経済にとって大切であるし、これからも応援したいと思っている。
昨年の1月に、両親の金婚式の記念に沖縄旅行を計画した。
両親と私たち三姉妹、そして私の息子を連れた三世代での旅だった。(夫たちは留守番。)
遠出の苦手な母にとっては初めての沖縄で、みんなでひめゆり平和祈念資料館を訪れた。
地上戦で4人に1人の県民が亡くなったと言われる沖縄戦。多くの民間人そして子どもが犠牲になった。
母は、最初から最後まで泣いていた。こんなことになっていたの、知らなくてごめん、知らなくてごめん、と何度も手を合わせながら泣いていた。
母は戦後生まれだけど、世代としてはとても近いから、自分の女学生時代と重なったのだろう。
ひめゆりを知識として知っていることと、実際に彼女たちと同じ場に立つということは、まったく違うのだと実感した。
母と一緒に、家族と一緒に、行けて良かった。
母はずっと、連れてきてくれてありがとう、沖縄の人たちのつらいことを知らずに人生が終わらなくてよかった、ありがとう、と泣いていた。
その後、私たちは自分たちで調べていくつかのガマを巡り、手を合わせてきた。
レンタカーで海沿いを走っている時に、辺野古埋め立てに反対する人たちをよそに土砂を搬入するトラックの列を見た。
心がとても、ざわついていた。
沖縄から戻った私たちは、誰に言われるわけでもなく、それぞれが沖縄戦の映画やドキュメンタリーを観ていた。何かを取り戻すように。
日本は平和だと思っていた。でもそれは、沖縄の犠牲のもとに成り立っているのだと知った。
戦争は過去のことだと思っていた。でも、米軍基地問題は戦後80年の今も続いている。
沖縄は、ずっと闘い続けている。基地が無ければ起こりえない問題や犯罪や分断と。
沖縄と遠く離れた北海道で、米軍基地の無いこの地で、沖縄の不条理に目を向ける責任が自分にはあると感じた。
そんな気持ちで、ひとりシアターキノに向かったのだった。
「基地があるということは、戦争が起きたときに真っ先に狙われるということなんです」という知事の言葉が、ずっと耳に残っている。
太田さんも翁長さんも、政党は真逆なのに、どちらも県民の厚い支持を得た。国を相手に全力で闘った知事だ。
どちらも一貫して、「権力」ではなく「県民」を見ていた。
翁長さんは辺野古移設の承認を巡って国に起訴された際に言っていた。
「自分はきっとつぶされる。国の力に勝てるとは思っていない。だから、全力で県民のために闘い、つぶされていく理不尽な姿を日本の全国民に見せるためにここにいる。」
国や地方を動かす人を選ぶとき、候補者が「どちらを向いているのか」をしっかり見極めたい。
同時に自分自身もまた、「利権」ではなく「権利」のために考えられる人間でありたいと思う。
沖縄には必ずまた行く。
その時は、更に深く歴史と今を心で感じる旅にしたい。
本日は、沖縄慰霊の日。
世界情勢が再び悪化の一途を辿る今日、改めて心から恒久平和を願う。
Our Open Dialogueのはじまり
私の店の新たな試みとして始めた、「Our Open Dialogue」。
一方通行の発信だけではなく、その日に集った人と共に考え合う対話の時間を持ってみたいと思い、立ち上げた。
そしてその一回目を、6月20日の世界難民の日に実施した。
今回は初回ということもあり、
現在店舗で開催しているイベント「Think Around Us vol.1/戦争がもたらすもの」のテーマに沿って
2月に訪問したポーランドのアウシュヴィッツ・ビルケナウ博物館の体験談を前半に、
そして後半は、ホロコーストの歴史の場である同博物館が掲げる「二度と繰り返さないために、私たちはどうしたらよいのか」という問いを囲み、
参加者13名とともに、それぞれの今の気持ちを言葉にする対話の時間として構成した。
私と、今回のトークパートナーである妹を含めて15人。
ひとつのテーマについて共に考え、それぞれの声に耳を傾け、自分の気持ちを言葉にしてみる、という時間は日常の中でほとんど無い。
その空気は、友達同士のおしゃべりとも、職場の同僚との会話とも、家族団らんの場とも違う。
顔見知りの人と初めましての人とが混ざり合い、少し緊張感も存在する。
私たちの共通点は、今日この日のテーマに何かしらの思いを感じてここにいる、ということだ。
対話会をひらくにあたり、共通のルールを設けた。
【Our Open Dialogue のルール】
- 耳を傾けてよく聞く
- 他の参加者の発言に対して、否定的な態度をとらない。(例:でも…、それは違うと思う、など否定や批判をしない)
- 発言せず、ただ聞いているだけでもOK。
- 知識や一般論ではなく、自分の言葉で話す。(専門的な言葉や著名人の言葉ではなく、自分の体験や感じたことを基に話す)
- わからなくなっても、話がまとまらなくてもいい。
- ひとつの正解を求めるのはなく、そこにある言葉に耳を傾ける。
この日のテーマは「二度と繰り返さないために、私たちはどうしたらよいのか」。
椅子の配置をゆるやかな楕円形にして、一人目の話者になるのはなかなか勇気がいると思い、まずは私からスタートした。
その後は自然と反時計回りに、これまでの自分の体験や人生と重ねながら、ひとりひとりが今の自分の言葉で、一生懸命語ってくれた。
ある人は、初めてのお給料で行った旅先の経験と重ねて。
ある人は、東日本大震災のボランティアの経験を通して。
ある人は、故郷が原爆投下の候補地だったから、その日晴れていたら自分は存在しなかったのかもしれないと。
今ここにある声に耳を傾けるということが、どんなに貴重であるか。それは想像を超えるものだった。
自分ひとりの思考だけでは到底たどり着けない15人15通りの言葉に、心が震えた。
未だ余韻とその後の思索が続いている。
***
知るための入り口に立つこと
知ることも、自分の人生も大切にすること
自分の大切な人を守ること
今の場所でできることを考える
世界の人と交流し友だちになること
知らないでいる自分より、知っている自分でいること
平和な暮らしの手本を示すこと
映画はそこで終わりだけど、そうじゃないんだ
争いの時には負けるほうでいたい
許すこと
戦争に正当な理由を求めず、だめなものはだめだと言える気持ちを持つ
若い世代目線での非戦を広げていく
こういうことをオープンに話せる場がもっとあるといい
つらいことを経験したのに、同じことをなぜ他の人にしてしまうのか、わからないから考えていきたい。
善と悪はすべての人が持つ。そのことを自覚した上で、流されずに善の決断をすること。
***
この日、ともに考え、素晴らしい言葉を聞かせてくれた皆さんに
心からの尊敬と感謝を。
どうして競争しないといけないの?
小学三年生の息子と晩ご飯の食卓を囲んでいた。
もうすぐ運動会がある。ちなみに息子は、幼少期から運動会や発表会が大の苦手である。
大きな拒否反応が出る前に、今の気持ちを知ることが重要だ。
私「練習はどう?」
子「よさこいは難しいけどがんばってるよ。」
子「でも走るのは最悪。」
私「最悪とは?」
子「100m走だよ。足が遅くて負けるのがわかってるのに、なんで競争しないといけないの?」
自分の子ども時代を見ているようだ。
運動がとても苦手で体力も無く、運動会でダメな自分をさらすのがとても苦痛だった。
運命競争だけが唯一の救い。
徒競走でどんなに全力で走ったとて、クラスで一番速い子に勝てるわけもないのに
その頃は根性論(いわゆるスポ根)しか存在しなかったのが、また辛かった。
そこで提案をしてみた。
何のために自分は走るのか、自分だけの目標を決めてみたらどう?と。
息子は箸を置いて、考えていた。
そして声高にこう叫んだ。
「おれは、ウルトラマンに力を送るために走る!」
彼は学校で、今日もきっとウルトラマンのために、ひいては地球の平和のために走っている。
WHAT IS "PEACE" TO YOU ?
WHAT IS "PEACE" TO YOU ?
というプロジェクトを思いつき、この6月から店で実施している。
私の店には、地元や道内国内のお客さんのほかに、日々様々な国からお客さんが来てくれる。
ニュースで世界情勢が悪化していく様子を目にするたびに、
どうにかしたいのにどうすることもできない自分にため息が出るわけだけれど
それとは裏腹に、この店の扉を開けてくれるお客さんとの交流はとても平和だ。
つまり、民間人は「平和的外交」ができている。
とはいえ、世界(特に力を持つ国々)が国策として排他主義に傾いているのは事実で
異なる人や弱い立場の人たちの排除を助長するようなプロパガンダが
SNSやネットニュースをはじめ、あらゆるところに潜むなかで
自分が流されないためには、目の前にある守りたい世界をどうにか可視化させ表現をしていくしかない。
そこでふと思った。
みんなが思う「平和」って、どんなものなのだろう。
ひとりひとりに問うたとき、きっと無限に生まれるはず。
たくさんの平和のかたちに触れたとき、この世界の見え方が変わるのではないだろうか。
少なくとも自分にとっては。
最初に戻る。
WHAT IS "PEACE" TO YOU ?
というプロジェクトを思いつき、この6月から店で実施している。
参加方法は簡単だ。紙に書いて、貼る。
来店が難しい人には、メッセージをもらえたら代筆もしている。
用紙を作った。項目は二つのみ。どの言語でも、短い言葉でも、絵でもOK。
●WHAT IS "PEACE" TO YOU ?(あなたにとって「平和」とは?)
●Where are you from? (ご出身)
貼るスペースとして、店内に『PEACE WALL』を作った。
このプロジェクトの期間は一応区切りとして、8月15日を予定している。
たくさんの人の平和のかたちを、見ることができたらいいなと思っている。
プロジェクトをはじめてすぐ、先月立ち寄ってくれたドイツのお客さんからInstagramのDMが届いた。
台湾のお客さんからもメッセージをもらった。
ハワイから来たファミリーは、みんなで書いていってくれた。
この店にはGood Heartがある、と言いながら。
数日前にカリフォルニアから来たカップルが参加してくれて、今日また顔を出してくれた。
バスが出発する前に寄ってくれたのだった。どうしても伝えたいことがあると言う。
ここに来るまでは悲しい気持ちを抱えて過ごしていたけれど、心がとてもあたたかくなったと
溢れようとしている涙を指でぬぐいながら、私にわかる英語で伝えてくれた。
世界がどうか良いほうに向かってほしいね、と私もまた涙を指でぬぐいながら話した。
はじめてからまだ数日だけれど、想像をこえる心の交流に
私自身が一番、たくさんの"Good Heart"をもらっている。
互いの心がふれあう瞬間を大切に、自分にできることを考え、続けていきたい。
16年の記憶の場
2009年4月16日にこの店を始めた。
もうすぐ丸16年になる。
当時は29才の若者だった自分も、今は45才の立派な中年だ。
16年の商いの中で、川底の石のように店も自分自身もまた、様々な流れを経験してきた。
濁流に抗う日々もあれば、静かにたゆたう日々もあり
その過程で余分なものはだんだんと削ぎ落とされてきたように思う。
ただ、どんな時においても
オープン当初からずっと通ってくれているお客さんの存在は、「店としての在り方」を考える上での大切な指標となっている。
店であれ人生であれ、見失ってはいけない信念を心の軸に据える。
あるお客さんの話をしたい。
彼女は、この店がちょうどオープンに向けて準備をしている頃に、家族と共にこの地域に移住してきた。
以来ずっとこの店と伊達市にある姉妹店にご夫婦で通ってくれている。
当店が周年を迎える時にはいつも企画展の初日に来てくれて、移住してきた頃の思い出話をしてくれた。
工事中のこの店の前を車で通るたび、どんな店ができるのかずっと楽しみにしていたと。
ホリデーマーケットの記念日は、自分たちの移住記念日なのだと。
私もいつの間にか、この店の周年のカウントがごく自然に彼女がこの地に越してきてからの年数と結びつくようになっていた。
先月、彼女の急逝を知った。息子さんが姉妹店に伝えに来てくれたのだ。
母が大好きだったmemhouseさんとホリデーマーケットさんには伝えたかった、と。
その言葉を私たちに届けることは、どんなに辛かっただろう。
同時に、彼女の人生において自分たちの店がそんな風に大切な場所として位置づけられていたことに、涙が止まらなかった。
今年の周年企画展の初日に、彼女の姿はやはり無い。
そのことが私はどうしても寂しいのだ。
けれども私はこれからも思い出すだろう。ごく自然に、周年を迎えるたびに、彼女のことをずっとずっと。
この店のなかには、これまでと変わらずこれからも、彼女の姿は在り続ける。
「店」としての大切な存在意義を、17年目を迎える今、彼女は教えてくれた。
店は時として、誰かにとって大切な記憶の場となり得る。
悲しみは無くならないけれど、心の中でこの店をふと思い出した時には、彼女の話をしにいつでも訪れてほしい。
ご家族に、私はそう伝えたい。
そして彼女に、16年のありがとうを。心から。
