essay / 湖畔の思索日誌

2026-06-24 11:47:00

小さな町の民主主義

ご存知だろうか。

洞爺湖町議会の議員定数が削減の方向に舵をきっている。



「削減」と聞くと、一見良い響きに感じるかもしれない。税金の削減になるならいいじゃないか。成り手もそんなにいないんだからいいじゃないか。そんな声もあるのだろう。
始まりは議員定数削減の陳情書だったというのだから。

 



では、議員とは何か。

多くの人は、町長が町を動かしていると思うかもしれないけれど、日本の地方自治は町長だけで成り立っているわけではない。

首長(町長)と議会議員の双方を住民が直接選ぶ「二元代表制」が採用されている。



つまり、

●町長も町民が選ぶ
●議員も町民が選ぶ

という二つの代表が存在し、町政を互いに注意深く監視しながら進める仕組みだ。



この二元代表制を正しく機能させるには、議会が単なる追認機関にならないことが重要になる。また反対も然り。

・この予算は本当に妥当か
・他の選択肢はないか
・将来世代や自然環境への影響はどうか

などを議論し、必要に応じて修正や反対をすることも大事な役割だ。



異なる意見が存在することは、対立ではなく健全な民主主義の証であるし、
何よりも議会には、多様な背景を持つ議員の存在が必要だ。

もし議会が特定の業界や団体の代表だけで構成されれば、議論の幅は一気に狭まる。



町には、

・農林水産業
・土木・建設業
・観光業
・商工業

という分野だけでなく、

・子どもと子育て世代
・学生や若者
・働く現役世代
・障害を持つ人やその家族
・介護が必要な人やその家族
・高齢者
・移住者
・教育関係者
・医療関係者
・環境保護や保全に関わる人

など、多様な立場の人が存在する。
議会にもその多様性が反映されることが望ましい。

二元代表制は、多様な人が立候補できて初めて機能する。

ところが、

・時間的負担
・経済的負担
・組織票の有無

などによって、立候補できる人が限られてしまうのは、全国どの市町村においても大きな課題だ。

議会の多様性を維持するためには、「誰でも挑戦できる環境」が重要だ。

その根本的な問題に取り組むこともせずに、そしてパブリックコメントも実施せずに、「議員定数削減」を議会承認のみで進めようとしている現在の町議会は、二元代表制が本当に機能していると言えるのだろうか。



私は、定数削減に反対する議員さんが持ってきてくれた『洞爺湖町議会議員現行定数12人の堅持を求める請願』に、自分の意思で署名をした。

そしてその行末を見届けに、洞爺湖町議会を傍聴しに行った。

結果、賛成3名、反対8名。よって不採択。

つまりその日出席していた議員11名のうち、8名は定数削減に賛成したという結果だった。

不採択の理由としては、先に出ている定数削減の陳情書が採択されたので、という理由にもならない理由で残念でならない。

 

ここから更に注視したいのは、「議会費」も削減されるのかどうかだ。

削減の名目で議員定数を減らすのであれば、当然議会費も削減されるのであろうと思っている。

しかし、もし議会費の予算が削減前と変わらず、なんていうことがあれば、しっかり追求したい。



二元代表制の主役は町長でも議員でもない。
本来の主役は町民だ。

町長も議員も、住民から権限を預かっている存在だからこそ、
「何をしているかわからない議会」
ではなく、
「町民がどんな町政を望むのかを中心に置く議会」
であってほしいし、
町民も町政に目を向け、「これ、なんかおかしくない?」と感じた時に目をつぶらず、訴え続けることが必要だ。

この小さな町の民主主義は、どうなっていくのだろう。

その運命は、投票権を持つ町民が握る。

投票権を持たない人たちの分まで、しっかりと考えていかなければならない。



来年は統一地方選がある。
洞爺湖町議会議員選挙、新しい風がたくさん吹くといい。
議員定数を減らしたことを後悔するくらい、たくさんの多様な候補者が立てる町になってほしい。

そして見極めたい。

この人は、「選挙の時だけ議員さん」なのか「議会の意味と社会の未来を考えている議員さん」なのか。

「大きな権力を大事にする人」なのか「小さな権利を大切にする人」なのか。 

 

地方議会は、国の縮図だ。

しかし地方自治に希望を持てるとするならば、二元代表制であることと、分母が小さいからこそ変えられることもある、ということだ。

自治体独自の取り組みで、モデル事例を作り上げることだって可能なのだ。

 

 

というわけで、議会傍聴を楽しみつつ、町民ジャーナリズムを始動しようと思う。

今後も町政から目を離さず、関心を寄せてもらえるきっかけを町民目線で構築していきたい。

 



※ご興味があればぜひ「能登デモクラシー」というドキュメンタリー映画を観ていただきたい。穴水町の町議会がテーマになっている。
合わせて、富山市議会に焦点を当てた「はりぼて」、杉並区長選を取り上げた「○月○日、区長になる女」もぜひ観てほしい。

2026-05-03 15:56:00

憲法記念日に日本国憲法を考える

 

5月3日は日本国憲法が施行された日。

1947年から守られ続けているこの国の平和憲法が今、岐路に立たされている。

 

改憲か護憲かで世論が揺れる中、新聞をはじめとした各種メディアでは賛成反対を一見分かりやすくパーセンテージで表記する。

読売新聞では賛成が反対を上回ると報じ、朝日新聞では賛成と反対で割れていると報じていた。

しかし実際は、「わからない」という回答も賛成や反対と同じくらいの比率を占める。

つまり賛成か反対かをパーセンテージではっきり線引きできるほど、未だ全国民に憲法への理解が浸透していないのだ。

にも関わらず、大きな一枚のプラカードのように「日本国憲法」をどーんと見せ、さぁあなたは改憲に賛成?反対?と問われたところで、「よくわからない」としか答えられなくなるのも無理はない。

 

日本国憲法は、前文と第一章から第十一章までで構成され、それぞれの章の中で更に細かく条項が制定されている。

多くの人が関心を寄せる「憲法九条」は、『第二章 戦争の放棄』の中に制定されている条項だ。

 

なぜ『日本国憲法』が施行されたのか。

『日本国憲法』がなぜ『平和憲法』と呼ばれているのか。

私たちはまず、そこから知る必要がある。

 

そして「わからない」私たちをどうか無視せず、国にはすべての国民が現在の日本国憲法を理解できるよう、前文を含め第一章から第十一章までのすべての条項を、今一度わかりやすく丁寧に伝える努力をしてほしい。

その対象は大人だけでは無いはずだ。未来を担う子どもたちにも、日本国憲法にはどんなことが書いてあるのか、知る権利がある。

 

改憲議論はそこからだ。

一章一条一言一句の隅々までを精査し、変える必要があるのか、守り続けるほうが良いのか、時間をかけて議論を続ける必要がある。

 

改憲について国民投票になった時に、「わからない」は通用しない。その時には賛成か反対かの選択肢しか無いのだ。投票権の放棄と白紙投票は「賛成」になる。

投票権を持たない人たちの分まで、私たちは真剣に考え議論し、自分の中の答えを導き出さなくてはならない。

 

殺傷能力のある武器の輸出が緩和された話を9歳の我が子に話したときに、彼は憤っていた。

なぜ自分は反対できないのかと、自分には選挙権も無いじゃないかと、彼は憤っていた。

有権者が持つ「一票」の重さを感じた瞬間だった。

 

 

今の情勢に合わせた憲法にしなければならない、そのような声が聞こえる度に

そして、衆院選の追い風のように改憲に舵を切り始めたこの空気に対してこそ、

私たちの『日本国憲法』の揺るぎない平和の礎を示して然るべきなのではないだろうか。

 

 

ここに、日本国憲法の前文と第二章九条を記載する。

改めて読んでいただきたい。

 

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日本国憲法

 

日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、

われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、

わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、

政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、

ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。

そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、

その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。

これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。

われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。


日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、

平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。

われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、

名誉ある地位を占めたいと思ふ。

われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

 

われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、

政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、

他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

 

日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

 

 

 

第二章 戦争の放棄〔戦争の放棄と戦力及び交戦権の否認〕

 

第九条

日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、

国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、

永久にこれを放棄する

 

 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。

国の交戦権は、これを認めない。

 

 

 

2026-01-27 14:17:00

民主主義の質と今回の衆院選

60年ぶりと言われる通常国会冒頭解散。戦後最短の16日間の選挙戦が始まった。

「私で良いのか決めていただきたい」

高市総理は解散の大義としてそう述べたが、総理を決めるのは直接投票ではないし、評価しようにも就任されてからまだ日が浅く判断材料が何も無い。

しかしながら総理の権限で解散されてしまった以上、衆院選はすぐにやって来る。

前回の参院選の時のように投票前の候補者分析と対話会をしたかったけれど、2月4日から2週間ほど海外へ行くため、スケジュールを組むことができなかった。

投票日は2月8日。もちろん期日前投票をしてから出国する。

公示が1月27日だから、期日前投票は1月28日から可能。早めに選挙公報を手に入れて、自分の一票を決めたい。

そう思い27日に洞爺湖町役場の選挙管理委員会に問い合わせたところ、選挙公報が洞爺湖町に届くのは1月30日とのこと。

さらに同時に実施される最高裁判所裁判官の国民審査の期日前投票は、2月1日からしかできない。

全然間に合っていないではないか。まだ何も手元に情報がない。国民の知る権利は何処へ。

もちろんこれは自治体に落ち度は無い。相当に強引で無茶な解散であるということだ。

 

民主主義の質が底辺まで落ちた。そう感じた今回の突然の衆議院解散。

 私なりに今回の解散から衆院選までを整理してみた。もし参考になれば、投票前のひとつの判断基準にしてほしい。

 

 

【異例の早さの衆議院解散】

まず、前回の衆院選からまだ1年3ヶ月ほどしか経っていない。衆議院議員の任期は四年であるのに。

ここで一度、数字を置いておきたい。

前回の衆院選(2024年10月)に投じられた税金は約700億円以上。もちろん今回もそれくらいの税金が投じられるのであろう。

任期が満たないうちの解散が常態化することで、巨額の選挙費用・国会審議の空白・政策の中断・自治体にのしかかる負担が繰り返し発生することを忘れてはいけない。

 

今回の突然の衆議院解散で発生する自治体への大きな負担に対して、杉並区長・岸本聡子さんを含む首長は異議を唱え、『衆議院解散に伴う自治体首長の緊急声明』への賛同を呼びかける動きも出ているので参考にしてほしい。

 

参考サイト:選挙ドットコム

衆議院解散に伴う自治体首長の緊急声明

 

 

【北国の事情無視の衆院選】

なぜこの時期に…。北国で暮らす多くの人はそう感じたであろう。

真冬の選挙は、投票に行く国民、立候補する候補者、投票業務を担う自治体すべてにとって負担が大きく、まったくもってフェアではない。

あまりにも霞ヶ関目線でしか衆院選を見ていないのだと感じた。

大雪や吹雪、それに伴う除雪作業、高齢者や障害がある人にとって困難を極める冬の外出、投票所までの距離、交通機関の乱れ。

ざっと考えただけでもこれくらいの想像はつくはずで、実質的な投票障壁が発生する。

とてもじゃないけど、一票に平等性を感じられない今回の衆院選。都市部基準の民主主義としか言えない。

さらに自治体は、いつもの業務にプラスして選挙業務がのしかかる。

「私で良いのか決めていただく」のが解散の大義ならば、せめて多くの国民の心が落ち着く5月以降にしてほしい。

 

【考える時間を与えない衆院選】

解散から投票日までがあまりにも短すぎる今回の衆院選。

候補者を立てる時間も、候補者を知る時間も、猶予が殆ど与えられず

政策論争も深まらず、メディアの報道すら追いついていない。

さらに衆院選では最高裁判所裁判官の国民審査も同時に行われる。

これは不信任の裁判官に×をつけるものだが、情報が圧倒的に少なく調べる時間がほとんどない。

故によくわからないから何も書かない国民が多く、制度上の深刻な問題にもなっている。

三権分立は建前としては存在するが、内閣が突然解散を決め、司法と立法の要を決める選挙や審査がこの状況では、国民のチェック機能が十分に働いていないとも言える。

国民に信を問うならば、しっかりと考える時間も保障した上での選挙にしてもらいたい。

大きな権限を持つ最高裁判所裁判官がこのように簡単に決められるのならば、ひとつの問題提起として私は全ての裁判官に×を付けようと思う。

 

民主主義の質が底辺まで落ちたと感じるのは、結局は国民主権であると見せかけて内閣主権・国家主権になっていると言わざるを得ないからだ。

解散の判断を内閣が単独で決め、

時期や日程を行政が主導し、

国会は一方的に停止され、

国民は短期間で判断を迫られる。

これは国民が主権者であるとは言えず、実質的な自動承認装置になっているにすぎない。

「国民の信を問う」という言葉を免罪符のように使うけれども、結局その解散の真意は誰の目にも明らかである。

今解散すれば有利、今選挙をやれば勝てる。

その思惑がはっきりと「透けて」見える衆院選だ。

 

 

だからこそ、一票の重さを考えて投票に行ってほしい。

 

私は絶対にヘイトや差別に投票しない。

私は命を軽んじる人には投票しない。

私は平和を重んじる人に投票する。

私は利権ではなく権利のために生きる人に投票する。

 

私は、自分の一票は、自分で決める。

どうしたら世界はもっと良い方へ向かうのか、そのことを考えたい。

 

 

 

 

2025-11-13 13:50:00

○○人ファーストのその先に

「宇宙からは、国境線は見えなかった」

これは、かつて宇宙飛行士の毛利衛さんがスペースシャトルでの宇宙飛行から帰還されたときに語った言葉だ。

今こそ多くの人に届いてほしい。

 

 

人間の人間による区分けほど愚かなものはない。

人間に対しても、すべての生き物や自然環境に対しても。

国境は人間が勝手に決めたもの。他の生き物や自然界には関係の無い話だ。

所謂「人種」もまた人間が勝手に決めたもの。山奥に放り出されたら、無力なひとつの命でしかないのに。

 

日本人って何だろう。

日本国籍を持つ人?日本で生まれた人?日本で暮らす人?税金を納める人?見た目のこと?話す言葉?日本が好きな人?日本を大事にする人?

考えれば考えるほど曖昧で、突き詰めれば突き詰めるほど意味が無い。

未だ解明されない果て無き宇宙の中の、銀河系の中の太陽系の中の、小さなひとつの惑星の中で

一人の人間が持てる時間など塵にも満たない。夜空を見上げれば何万年も前の光が瞬いている。

一瞬で消える一生を、存在もしない区分けと排除に費やしたその先に、いったい何があるのだろう。

それどころか人間のおかげで地球温暖化は猛スピードで進み、人間同士で争っている猶予など、そもそも無い。

自分が地球で最も愚かな生き物に属することを反省しながら、せめて森羅万象のなかで巡る命には敬意を持ちたい。

すべては海から生まれ、つながっているのだから。

 

2025-09-05 16:02:00

世界といのちの教室

7月の初めに、国境なき医師団が行っている「世界といのちの教室」という教育プログラムに、ボランティアとして参加してきた。

この日一緒に活動したのは、大学生と私の母くらいの年代の女性、そして国境なき医師団日本会長の中嶋優子医師と事務局スタッフさん。計5名で、札幌市内の小学校を訪問した。

 

 

「世界といのちの教室」は、小学校5・6年生を対象とする、世界で起きている命の危機や医療支援について子どもたちが学び、考えるための特別授業だ。「総合」という科目で、5・6時間目の授業の中で実施した。

 

国境なき医師団 世界といのちの教室

 

 

【世界といのちの教室 プログラム内容(90分想定)】

 

◎前半

「知る・学ぶ」

世界で起きている命の危機。医療援助を必要としているのはどんな人?

国境なき医師団はどんな活動をしているの?

 

◎後半

「考える」

国境なき医師団のお医者さんになって、

人道援助の現場で直面するジレンマを体験してみよう。

(ワークショップ・ディスカッション)

 

 

全体的にはこのような流れで進行していく。(詳細は国境なき医師団のホームページに記載されている)

私たちボランティアスタッフの主な任務は、全体的な進行の手伝いと、子どもたちのグループディスカッションのサポートだ。

当日スムーズに活動できるよう、事前に研修も受けている。

 

このプログラムは、グループディスカッションの時間が特に素晴らしく、大人でも簡単に答えを出すことのできない難しいテーマに対して、子どもたちが一人ひとり真剣に考え、チームで意見をまとめ、最善の選択を模索する姿に感動せずにはいられなかったむしろ大人こそ、子どもたちのこの姿を見て彼らの言葉を聞き学ぶべきではないかと感じるほどだった。

 

そして今回の教室で語られた、中嶋医師の言葉はとても重く心に残っている。

中嶋医師は、2023年の11月にガザへ派遣され、交通網も途絶える中で荷物を背負い、徒歩で現地入りしたそうだ。 「これまで経験したどの現場よりも一番悲惨な状況でした。さまざまな現場経験のある他国のスタッフも皆口を揃えてガザほどひどい状況を見たことがないと言っていた。それくらい大変な状況で、それが現在もさらに悪化し続けています。」

この言葉は、実際に現地で人々の命に向き合ってきた人だからこそ語れる重みを持ち、胸に深く刺さる。

 

現地での写真とともに過酷な環境下での活動の話を、わかりやすく語る中嶋医師は、最後に一人の少女の動画を見せてくれた。

動画の中の少女は覚えたての英語で自己紹介し、好きな色や好きな遊び、夢について朗らかに話していた。

 

動画が終わると、中嶋医師は子どもたちに優しく語りかけた。

「彼女はみんなと同じように好きな色や好きな遊びがあって、そして夢があります。ただ一つだけ違うのは、彼女が居る場所がガザであるということ。天井の無い監獄と呼ばれるガザから、彼女は出ることができません。生まれたときから紛争の中で生きています。」

そこにいる全員が真剣な眼差しで聞いていた。

 

その後、「中嶋先生はどうして国境なき医師団に入ったのですか?」という子どもたちの質問に対して

中嶋医師は悩むことなく真っ直ぐに「かっこいいから!だってかっこいいでしょ?困っている人たちを助けにいくんだもん!」と笑顔で答えていた。

あぁ、自分も子ども時代にこういう授業を受けたかったなぁ、こういう人に出会いたかったなぁと素直にそう思った。

 

 

「世界といのちの教室」は、遠い国の出来事を自分ごととして考えるきっかけを子どもたちに与えてくれる場だ。

 こうした経験を記憶した子どもたちは、広く世界を見つめ、意見が違っても耳を傾け、ひとりひとりの命の重さが平等であることを理解できるようになるはず。間違いなく未来の平和につながる大切な体験であると感じた。

 

国境なき医師団は、ジャーナリストと医師によって設立され、「独立・中立・公平」を活動原則とし、98%が民間からの寄付によって支えられている。そのため国家や政治、宗教などの背景に左右されず活動することができ、世界各地で緊急医療援助と証言活動を続けている。

 

国境なき医師団の活動は、寄付やボランティアなど、たくさんの人の理解と協力によって支えられている。

私自身も今回の体験を通じて、募金だけではなく、「伝えること」や「考える場を持つこと」もまた支援につながる第一歩になるのだと実感した。

 

 

「この世界に、関係のないいのちなんて、ひとつもない。」——世界といのちの教室が掲げるこの言葉を、深く心に刻む。

私はたまたま日本の平和な町に生まれただけ。生まれてくる場所が違えば、戦禍の人生だったかもしれない。

遠く離れた地で起きている現実を前に、私たちができることは限られているかもしれないけれども、「知ること」「考えること」、そして「伝えること」もまた、小さな一歩となりうるはず。  

 

私自身も、ボランティアや募金、そして伝えることを通して、これからも支援を続けていきたい。

 

 

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もし「世界といのちの教室」を自分の学校でも実施したい、という近隣の学校関係者や自治体の方がいらっしゃいましたら、私が橋渡しをすることもできますので、ぜひご相談ください。

子どもたちが未来に向けて広く世界を見渡せるような学びの場を守り育てていくこと、それもまた国際協力のひとつのかたちであり、将来の平和をつくる道筋のひとつだと思います。

(国境なき医師団ホームページ上では、お申し込みがいっぱいで新規受付が中止となっていますが、事務局のスタッフさんに直接連絡することができます◎)

 

また現在、国境なき医師団の中嶋優子医師が、ガザを含む中東の紛争地域における人道危機に対しての日本政府への要望書と支援のオンライン署名活動をしています。

change.orgよりどなたでも署名できますので、ぜひ多くの署名が集まることを願い、ここにリンクを記載させていただきます。

 

https://chng.it/ZNz6wrc7sM

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