essay / 湖畔の哲学日誌
16年の記憶の場
2009年4月16日にこの店を始めた。
もうすぐ丸16年になる。
当時は29才の若者だった自分も、今は45才の立派な中年だ。
16年の商いの中で、川底の石のように店も自分自身もまた、様々な流れを経験してきた。
濁流に抗う日々もあれば、静かにたゆたう日々もあり
その過程で余分なものはだんだんと削ぎ落とされてきたように思う。
ただ、どんな時においても
オープン当初からずっと通ってくれているお客さんの存在は、「店としての在り方」を考える上での大切な指標となっている。
店であれ人生であれ、見失ってはいけない信念を心の軸に据える。
あるお客さんの話をしたい。
彼女は、この店がちょうどオープンに向けて準備をしている頃に、家族と共にこの地域に移住してきた。
以来ずっとこの店と伊達市にある姉妹店にご夫婦で通ってくれている。
当店が周年を迎える時にはいつも企画展の初日に来てくれて、移住してきた頃の思い出話をしてくれた。
工事中のこの店の前を車で通るたび、どんな店ができるのかずっと楽しみにしていたと。
ホリデーマーケットの記念日は、自分たちの移住記念日なのだと。
私もいつの間にか、この店の周年のカウントがごく自然に彼女がこの地に越してきてからの年数と結びつくようになっていた。
先月、彼女の急逝を知った。息子さんが姉妹店に伝えに来てくれたのだ。
母が大好きだったmemhouseさんとホリデーマーケットさんには伝えたかった、と。
その言葉を私たちに届けることは、どんなに辛かっただろう。
同時に、彼女の人生において自分たちの店がそんな風に大切な場所として位置づけられていたことに、涙が止まらなかった。
今年の周年企画展の初日に、彼女の姿はやはり無い。
そのことが私はどうしても寂しいのだ。
けれども私はこれからも思い出すだろう。ごく自然に、周年を迎えるたびに、彼女のことをずっとずっと。
この店のなかには、これまでと変わらずこれからも、彼女の姿は在り続ける。
「店」としての大切な存在意義を、17年目を迎える今、彼女は教えてくれた。
店は時として、誰かにとって大切な記憶の場となり得る。
悲しみは無くならないけれど、心の中でこの店をふと思い出した時には、彼女の話をしにいつでも訪れてほしい。
ご家族に、私はそう伝えたい。
そして彼女に、16年のありがとうを。心から。
クリスマスイブに思うこと
今日はクリスマスイブ。
今年のクリスマスも、新型コロナウィルスの影響で
ご家族や友人と過ごせないという方もいらっしゃると思います。
どんな状況下であっても、互いを、そして誰かを思いやる気持ちがあれば
きっと素敵なクリスマスになると思います。
サンタクロースの起源とされる聖ニコライは、貧しさに苦しんでいる家族がいると、夜中にこっそり施しをしました。
ここにクリスマスやサンタクロースの本来の精神が宿っています。
クリスマスは、なにかを求める日ではなく、誰かの為になにができるかを考える日。
「奉仕」や「思いやり」が前提にあり、家族や友達やまわりの人の存在にあらためて感謝する日であってほしい。
どうか、やさしさに溢れるクリスマスになりますように。
日本の映画『ALWAYS 三丁目の夕日』より、私の大好きなクリスマスのエピソードを。
売れない貧乏小説家の茶川竜之介(ちゃがわりゅうのすけ)に、紆余曲折あって引き取られた少年・淳之介(じゅんのすけ)。
クリスマスが近づいてきたある日、茶川は淳之介に「サンタクロースからどんなプレゼントが欲しいんだ?」と聞かれ、淳之介は「僕は、いいんです。」と答えます。
茶川が「どうしてだ?」と聞くと、淳之介は「僕のところに、サンタクロース、来たことありませんから…」と言います。
それを聞いて、茶川は淳之介のために奔走します。
お金がないので、なんとか工面し、こっそり小説を書いている淳之介のために万年筆を買い、近所の診療所の先生にサンタクロース役を頼んで、そしてクリスマスイブの夜が来ます。
その日、玄関で何やら物音を聞いた淳之介。
すると、プレゼントが置いてあります。
淳之介は慌てて戸を開け外に出ると、雪がゆっくり舞い降りる中、サンタクロースがこちらを向いて手を振り、「メリークリスマス!」と言って去って行きます。
淳之介は目を輝かせながら、「僕のところにもサンタクロースが来ました!」と茶川に伝えます。
包みを開けると、淳之介がずっと欲しかった万年筆が。
「どうして僕の欲しいものがわかったんだろう…」と不思議そうに話す淳之介。
茶川はこう答えます。
「それは、サンタクロースだからだろう?」
世界中の子供たちや、かつて子供だった皆さまにとって
クリスマスという日が、思いやりや浪漫、夢にあふれた一日になりますように。
Merry Christmas!!
旧友の訪問
時々、旧友が店を訪ねてきてくれる。
私の学生時代は少し複雑で、中高一貫の女子校に通っていたけれど、
高校の途中で自主退学し道立の高校へ転校という選択をした。
とても大きな女子校で、私は特に目立つ人間でもなく、学校をやめた自分を記憶に留めておいてくれる人など殆どいないだろう、そう思っていた。
心の片隅にあるはずの中高時代の記憶も、時とともに遠くへと。
とにかく今をしっかり生きることに全力投球の日々で、その頃の記憶に自分から会いに行くことはほとんどない。
話は戻り、
時々、旧友が店を訪ねて来てくれる。
店の扉が開き、チリンとドアベルの音が止むと同時に、かつて呼ばれていた懐かしい呼び名を耳にした瞬間、
心のどこか遠くへと行ってしまった自分もまた、この店に駆けてくる。
驚きと懐かしさと喜びに満ちた、束の間のひととき。
特に会う約束をしたわけでもなく、私がここにいることを知り、ふらりと訪ねてきてくれる。
彼女らもまた、あの頃の自分を連れて。
旧友が訪ねてくれた日は、
あの頃の自分と今の自分が店に立つ。
覚えていてくれてありがとう、そんな気持ちが溢れ出る。
店というものは、過去と今と未来を結ぶ場所なのかもしれない。