essay / 湖畔の思索日誌
ちょうどよい距離感
距離感が必要だ。
常にちょうどよい距離感を求めている。
ちょうどよい距離感はとても安心できる。
でも具体的な距離とも違うから、距離感を言葉で伝えるのはむずかしい。
たとえば、名前に「さん」付けはとても好ましい。最も好きな敬称だ。
「ちゃん」や「くん」は最初は緊張するけれど、慣れてきたら自然に呼べる。
ニックネーム呼びや呼び捨ては、かなりハードルが高い。
初対面でニックネームしか教えてもらえないとかなりつらいけど、何度も会う人なら呼べるようになる。
滅多に合わない人だと、呼ばずに会話できる方向へ誘いたい。
一番難易度が高いのは、「さん」から「ちゃん」またはニックネーム呼びへの移行だ。
タイミングも難しいし、相手から促されて変えるパターンと、周囲の呼び名に合わせて何となく変えるパターンがあり、どれを取ってもスーパーハードだ。
「さん」付けの敬称呼びは、私にとっては最適な距離感だけど
相手にとってはどうなのだろうか、と時々考える。きっとひとりひとり最適な距離感は違うのだろうから。
そういった意味では、互いに同じくらいの「ちょうどよい距離感」を持つ人とは、長くつき合えるということなのかもしれない。
身近な存在だと、夫とはとてもちょうどよい距離感を保っている。
最後に、
敬語はとても落ち着く。
略語が苦手だ。できれば正式名称が良い。
でも、ちょっと古いけど、げきおこぷんぷんまるという言葉は怒りをまろやかにしてくれるので好きだった。
だから時々、いいなと思う略語もある。
夕刻の虹
日の入りが少しずつ早くなり、仕事を終えて車に乗り自宅へと向かう時間がちょうど夕暮れと重なる。
昨日の夕空はオレンジとパープルとピンクを混ぜたような明るみを帯びた色で、
すでに暮れた遠くの薄暗い空との対比と、所々に射す黄金色の光が何とも美しく、こういう日の帰路は特にゆっくりと車を走らせたくなる。
カーブを曲がったその時、ただでさえ美しいその空に虹が架かっていた。
思わず声が出た。あぁ…きれいだなぁ…。
後続車やすれ違った車のドライバー、そして同じ時刻に空を見上げたすべての人が、きっと同じ気持ちだっただろう。
次のカーブを曲がった時には、もう消えていた。
自然のもたらす力は偉大で平等だ。この夕刻のたった一瞬で多くの心を癒やすのだから。
人間など、到底足元にも及ばぬことを自覚する瞬間でもある。
そして及ばぬながらも、本質的に良いと思える生き方を私は選びたい。
忖度なく誰もが美しいと感じた、あの夕刻の虹のように。
トマトの香り
連日30度近い気温が続く。北海道の夏もずいぶん暑くなったものだ。
車の色が黒いことも相まって、日に照らされた車内はサウナのように熱い。
エアコンが効くまでに時間がかかるから、すべての窓を半開にして走る。(※全開は強すぎるので半開がちょうどよい)
なまぬるい風が最大風量で駆け巡りながらのドライブは、インドア属の私が感じられる数少ない「夏のアクティビティ」に等しい。
北海道らしい広大な畑がフロントガラスのみならず、全方位に広がる。
空と入道雲と山々、そして果てなく続く畑を眺めながら車を走らせていると、途中から風がふわっとトマトの香りになった。
運転していなければ目を閉じて感じたいくらい、これは絶対トマトだ。
パズルのピースが埋まるように、完璧な夏を感じた瞬間だった。
後部座席から「トマトのにおいがするね」と子の声がした。
「そうだね」と答える自分の中に、なんとも穏やかな喜びがあった。
16年の記憶の場
2009年4月16日にこの店を始めた。
もうすぐ丸16年になる。
当時は29才の若者だった自分も、今は45才の立派な中年だ。
16年の商いの中で、川底の石のように店も自分自身もまた、様々な流れを経験してきた。
濁流に抗う日々もあれば、静かにたゆたう日々もあり
その過程で余分なものはだんだんと削ぎ落とされてきたように思う。
ただ、どんな時においても
オープン当初からずっと通ってくれているお客さんの存在は、「店としての在り方」を考える上での大切な指標となっている。
店であれ人生であれ、見失ってはいけない信念を心の軸に据える。
あるお客さんの話をしたい。
彼女は、この店がちょうどオープンに向けて準備をしている頃に、家族と共にこの地域に移住してきた。
以来ずっとこの店と伊達市にある姉妹店にご夫婦で通ってくれている。
当店が周年を迎える時にはいつも企画展の初日に来てくれて、移住してきた頃の思い出話をしてくれた。
工事中のこの店の前を車で通るたび、どんな店ができるのかずっと楽しみにしていたと。
ホリデーマーケットの記念日は、自分たちの移住記念日なのだと。
私もいつの間にか、この店の周年のカウントがごく自然に彼女がこの地に越してきてからの年数と結びつくようになっていた。
先月、彼女の急逝を知った。息子さんが姉妹店に伝えに来てくれたのだ。
母が大好きだったmemhouseさんとホリデーマーケットさんには伝えたかった、と。
その言葉を私たちに届けることは、どんなに辛かっただろう。
同時に、彼女の人生において自分たちの店がそんな風に大切な場所として位置づけられていたことに、涙が止まらなかった。
今年の周年企画展の初日に、彼女の姿はやはり無い。
そのことが私はどうしても寂しいのだ。
けれども私はこれからも思い出すだろう。ごく自然に、周年を迎えるたびに、彼女のことをずっとずっと。
この店のなかには、これまでと変わらずこれからも、彼女の姿は在り続ける。
「店」としての大切な存在意義を、17年目を迎える今、彼女は教えてくれた。
店は時として、誰かにとって大切な記憶の場となり得る。
悲しみは無くならないけれど、心の中でこの店をふと思い出した時には、彼女の話をしにいつでも訪れてほしい。
ご家族に、私はそう伝えたい。
そして彼女に、16年のありがとうを。心から。
クリスマスイブに思うこと
今日はクリスマスイブ。
今年のクリスマスも、新型コロナウィルスの影響で
ご家族や友人と過ごせないという方もいらっしゃると思います。
どんな状況下であっても、互いを、そして誰かを思いやる気持ちがあれば
きっと素敵なクリスマスになると思います。
サンタクロースの起源とされる聖ニコライは、貧しさに苦しんでいる家族がいると、夜中にこっそり施しをしました。
ここにクリスマスやサンタクロースの本来の精神が宿っています。
クリスマスは、なにかを求める日ではなく、誰かの為になにができるかを考える日。
「奉仕」や「思いやり」が前提にあり、家族や友達やまわりの人の存在にあらためて感謝する日であってほしい。
どうか、やさしさに溢れるクリスマスになりますように。
日本の映画『ALWAYS 三丁目の夕日』より、私の大好きなクリスマスのエピソードを。
売れない貧乏小説家の茶川竜之介(ちゃがわりゅうのすけ)に、紆余曲折あって引き取られた少年・淳之介(じゅんのすけ)。
クリスマスが近づいてきたある日、茶川は淳之介に「サンタクロースからどんなプレゼントが欲しいんだ?」と聞かれ、淳之介は「僕は、いいんです。」と答えます。
茶川が「どうしてだ?」と聞くと、淳之介は「僕のところに、サンタクロース、来たことありませんから…」と言います。
それを聞いて、茶川は淳之介のために奔走します。
お金がないので、なんとか工面し、こっそり小説を書いている淳之介のために万年筆を買い、近所の診療所の先生にサンタクロース役を頼んで、そしてクリスマスイブの夜が来ます。
その日、玄関で何やら物音を聞いた淳之介。
すると、プレゼントが置いてあります。
淳之介は慌てて戸を開け外に出ると、雪がゆっくり舞い降りる中、サンタクロースがこちらを向いて手を振り、「メリークリスマス!」と言って去って行きます。
淳之介は目を輝かせながら、「僕のところにもサンタクロースが来ました!」と茶川に伝えます。
包みを開けると、淳之介がずっと欲しかった万年筆が。
「どうして僕の欲しいものがわかったんだろう…」と不思議そうに話す淳之介。
茶川はこう答えます。
「それは、サンタクロースだからだろう?」
世界中の子供たちや、かつて子供だった皆さまにとって
クリスマスという日が、思いやりや浪漫、夢にあふれた一日になりますように。
Merry Christmas!!
