essay / 湖畔の思索日誌

2026-08-02 15:46:00

【読了録】海と毒薬

◆7月のテーマ図書◆
遠藤周作 『海と毒薬/講談社文庫』



第二次世界大戦末期に実際に行われた、九州大学医学部の米軍捕虜に対する生体解剖事件をモデルに、対照的な二人の医局員・勝呂と戸田の心情を通して、宗教的倫理観が身近ではない日本人の精神風土と、罪の意識や良心の所在を根源的に問う遠藤周作の代表作で、1958年に刊行されて以来、今なお多くの書店で販売されていることが物語っている通り、時代を越えて読み継がれている作品。
7〜8月は戦争文学を数冊、テーマ図書の選定候補に入れていたので、この作品を参加者に選んでもらえて嬉しかった。

私は講談社文庫の『海と毒薬』を、長崎の遠藤周作文学館を訪れた際に購入した。
書店で見かけるのは新潮文庫の本作が多く、今回の読了会で持参してもらった書籍も私以外は新潮文庫だったけれど、表紙のデザインや裏表紙のあらすじも新装版とそうでないものとは違っていて、さまざまな「海と毒薬」が一堂に会した貴重な時間となった。講談社文庫と新潮文庫で文字のサイズやカーニングも微妙に異なり、講談社文庫の方がやや大きく、その分ページ数も多くなっていた。

新宿から電車で1時間の西松原住宅地に越してきた「私」の一人称で始まる物語は、事件の舞台である大学病院にシーンが移ると三人称に切り替わるが、事件当事者の看護婦・上田の手記や、戸田の回顧録では一人称になり、勝呂に関しては最後まで三人称で綴られている。その分多様な視点や心情を体感することができる。

命を救う立場の医局員12名が起こした、生きたままの人間を解剖するという行為は、それだけを取り出すと常軌を逸した悪質な犯罪であることは紛れもない事実であるが、そこに至る過程と、とりまく環境、当事者たちの心情の変化を多面的に分析しないと、この小説の本質が見えてこない。

「みんな死んでいく時代」という表現が何度か出てくる。戦場で、空襲で、病気で、飢えで、生きることが難しく、死ぬことが明日の現実だった時代に、死への感覚が麻痺していたこと。

勝呂のように、良心の呵責による自責や葛藤を抱えながらも、集団的倫理観(ここでは所属する医局内の派閥の空気感など)に流され、同じことがまた起きたとしても抗う自信が無いことを自覚し、個人の道徳観とともに自らの人生も埋没していく人間。

戸田のように、個人の道徳観が圧倒的に欠如し良心の呵責を感じることなく生きてきて、醜悪なことだと分かっていても社会的に罰せられなければ問題はないと考え、あの事件すらも今後の医療の発展のためだと捉える人間。

主任教授である橋本の妻・ヒルダのように恵まれた環境に身を置く敬虔なクリスチャンで、「神の存在」という宗教的倫理観を規範に生きる者と、すべてを失い満州から引き上げ孤独を抱えて生きる看護婦上田の交差し得ない良心の所在。

今自分の中に感じる「良心」というものが、どこから生まれてくるものなのか。
私たちが「良心の呵責」や「罪悪感」を感じる時、それは「個人の善性」に対するものなのか、それとも「一神教の神」に対するものなのか、あるいは「他人や社会の目」に対するものなのか。

掘り下げれば掘り下げるほど深みに嵌る、自分としては今後も考え続けたいテーマだ。



小説の前半と最後に引用されている詩が気になったので調べてみると、立原道造の「雲の祭日」という作品だった。

羊の雲の過ぎるとき
蒸気の雲が飛ぶ毎に
空よ お前が散らすのは
白い しいろい 綿の列

勝呂が屋上で口ずさむ、この詩の隠れた大きな意味を、ぜひこれから読む人には自分で見つけに行ってほしい。



今回の読了会で、「海と毒薬」の続編が新潮文庫から出ていることを知り、早速取り寄せた。
勝呂のその後を、追い続けてみたい。

あと恒例の勝手にキャスティングでは
看護婦長大場さんは江口のりこさんに決定。