essay / 湖畔の思索日誌
憲法記念日に日本国憲法を考える
5月3日は日本国憲法が施行された日。
1947年から守られ続けているこの国の平和憲法が今、岐路に立たされている。
改憲か護憲かで世論が揺れる中、新聞をはじめとした各種メディアでは賛成反対を一見分かりやすくパーセンテージで表記する。
読売新聞では賛成が反対を上回ると報じ、朝日新聞では賛成と反対で割れていると報じていた。
しかし実際は、「わからない」という回答も賛成や反対と同じくらいの比率を占める。
つまり賛成か反対かをパーセンテージではっきり線引きできるほど、未だ全国民に憲法への理解が浸透していないのだ。
にも関わらず、大きな一枚のプラカードのように「日本国憲法」をどーんと見せ、さぁあなたは改憲に賛成?反対?と問われたところで、「よくわからない」としか答えられなくなるのも無理はない。
日本国憲法は、前文と第一章から第十一章までで構成され、それぞれの章の中で更に細かく条項が制定されている。
多くの人が関心を寄せる「憲法九条」は、『第二章 戦争の放棄』の中に制定されている条項だ。
なぜ『日本国憲法』が施行されたのか。
『日本国憲法』がなぜ『平和憲法』と呼ばれているのか。
私たちはまず、そこから知る必要がある。
そして「わからない」私たちをどうか無視せず、国にはすべての国民が現在の日本国憲法を理解できるよう、前文を含め第一章から第十一章までのすべての条項を、今一度わかりやすく丁寧に伝える努力をしてほしい。
その対象は大人だけでは無いはずだ。未来を担う子どもたちにも、日本国憲法にはどんなことが書いてあるのか、知る権利がある。
改憲議論はそこからだ。
一章一条一言一句の隅々までを精査し、変える必要があるのか、守り続けるほうが良いのか、時間をかけて議論を続ける必要がある。
改憲について国民投票になった時に、「わからない」は通用しない。その時には賛成か反対かの選択肢しか無いのだ。投票権の放棄と白紙投票は「賛成」になる。
投票権を持たない人たちの分まで、私たちは真剣に考え議論し、自分の中の答えを導き出さなくてはならない。
殺傷能力のある武器の輸出が緩和された話を9歳の我が子に話したときに、彼は憤っていた。
なぜ自分は反対できないのかと、自分には選挙権も無いじゃないかと、彼は憤っていた。
有権者が持つ「一票」の重さを感じた瞬間だった。
今の情勢に合わせた憲法にしなければならない、そのような声が聞こえる度に
そして、衆院選の追い風のように改憲に舵を切り始めたこの空気に対してこそ、
私たちの『日本国憲法』の揺るぎない平和の礎を示して然るべきなのではないだろうか。
ここに、日本国憲法の前文と第二章九条を記載する。
改めて読んでいただきたい。
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日本国憲法
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、
われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、
わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、
政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、
ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。
そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、
その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。
これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。
われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、
平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。
われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、
名誉ある地位を占めたいと思ふ。
われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、
政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、
他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。
第二章 戦争の放棄〔戦争の放棄と戦力及び交戦権の否認〕
第九条
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、
永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。
国の交戦権は、これを認めない。
