essay / 湖畔の思索日誌
母と妻を置いていく
2年くらい前から、日常的な役割を外して旅をする時間をもらっている。
「家族公認の家出」であるこの貴重な時間を創出するには、大前提として家族の理解と信頼無くしては成り立たない。
いつだったか、夫と初めて膝と膝をつき合わせ、家庭内のさまざまな労働の比重について話し合ったことがあった。
今話し合わなければいずれ破綻してしまうと感じ、相当な覚悟をもって私から切り出したのがきっかけだ。
言い合いや責め合いにならぬよう、辛く感じている部分やこうするともっと楽になる或いは納得できるなどの検討事項をすり合わせ、完璧な平等は不可能なので目指さず、私たちにとっての最適なバランスを探った。
その詳細は書かないけれど、この話し合いをもって、私たちは初めてちゃんとパートナーシップを持てたように思う。
問題点を互いに理解し解消できるよう努力すること、子どもに対しては父と母で差別化せず二人でしっかり関わること、その姿勢を共通目標に掲げた。
そういった経緯があり、私は一年の中で数週間、家庭における役割を外して自由時間を得られることになった。
もちろんその期間は、夫がすべての家事労働を担う。
夫も子どもも、楽しんできてねと送り出してくれる。それがどんなにありがたいことか、身に染みている。
多くの人に子どもは寂しがらないかと聞かれるけれど、我が家の場合は拍子抜けするほど平気で、旅の間は夫からも子どもからもほとんど連絡が来ない。
そのおかげで私も全身全霊で旅を堪能できる。
ただ一人の人間としての感覚を味わいながら刺激しながら、忘れかけていたもう一つの時間の在り方を思い出す。
旅を終えて帰宅した時、二人の顔はどこか自信に満ちあふれていて神々しい。
おかえり、全然余裕だったよ、と言う二人の言葉に心の中で手を合わせて感謝する。
私が日頃料理の時に愛用しているセイロをどうやら夫も使っていたようで、微笑ましく、そして頼もしかった。
敬遠していた子どもの爪切りも遂にクリアしたようだ。
子どもは、私が起きる前に身支度もご飯も済ませるほど、朝が円滑になっていた。
旅を終えるごとに驚きの進化を見せてくれる二人のことを、心から誇りに思う。
役割からの解放という貴重な時間を作ってくれることにも。
そして、店を守ってくれる私の家族と、旅の話を楽しみに待っていてくれる夫の家族にも、旅をともにしてくれた妹にも、最大限の感謝を。
