essay / 湖畔の思索日誌
前置きとして私は洞爺湖温泉が好きだ
前置きとして、私は洞爺湖温泉が好きだ。温泉はもちろん、地域としての洞爺湖温泉が好きだ。
さまざまな問題を抱えてはいるけれど、個が立っていて、仲良しこよし過ぎないからこそ意見を持ちやすいし、問題意識も生まれる。
私は不必要に長すぎるロングラン花火や、景観無視で湖畔に置かれた謎のドアなどの人工物には反対だ。こういう意見も発することができる。
そういう意味では、民主主義が機能しているのかもしれない。
温泉と火山と湖があって、洞爺湖温泉にはたくさんの観光客も訪れるから、ここは商売の土地でもある。
時代と共に栄枯盛衰があり、新旧入り乱れて足並みが揃っていなくても、それぞれがそれぞれの場所で、一生懸命に商売と向き合っている。
その集合体が洞爺湖温泉であるとも思っている。
私は生まれも育ちも洞爺湖温泉で、進学や就職で札幌や京都、長野で過ごしたこともあるけれど、
時の流れのタイミングで故郷に戻り、この洞爺湖温泉で店を約17年続けている。
そして店を営むようになってから、たびたび言われるあるニュアンスに疑問を抱くようになった。
その多くは旧洞爺村(現洞爺地区)との対比としての洞爺湖温泉の評価で、
・洞爺湖温泉(あっち)側にはあまり行かない(行きたいと思わない)
・洞爺湖温泉には住みたくない
・こっち側(旧洞爺村)が洞爺湖温泉みたいになったら引っ越す
・旧洞爺村なら移住する
・一緒にされたくない
という具合に、圧倒的に洞爺湖温泉は嫌われていて、根深い境界線意識を感じる。
最初は洞爺湖町の合併による住民の軋轢なのかとも思ったけれど、移住の人から特に多くこの表現を聞くことを考えると、それだけが原因でもなさそうだ。
共通の悪しきイメージのようなものがあるのだろうか。だれか教えてほしい。
ちなみに洞爺湖温泉地区の人たちは、旧洞爺村に対してマイナスイメージは持っていないと思う。
向こうもいいよね~という感じだ。
ともあれ、ずっと飲み込んできたこの洞爺湖温泉ヘイトについてそろそろ向き合ってみたいと思ったし、
やっぱり生まれ故郷が悪く言われ続けるのは悲しい。好きで住んでいる人もいることに気づいてくれたら嬉しい。
言葉を受けるたびに、ぷすぷすと安全ピンで刺されているような、見えない傷と痛みを感じるのは
私はとても、洞爺湖温泉が好きだからなのだろう。
こういう人間も、洞爺湖温泉にいる。
