essay / 湖畔の思索日誌

2025-11-12 13:10:00

家のとなりの大きな木

私が生まれる前からずっとそこにあった家のとなりの大きな木が、今日伐採されることになった。

このまま伸び続けると倒木の危険があり、周囲の建物を巻き込む可能性が高いということだった。

自分の土地に生えている木では無いから、そのことについてどうこうする余地もないのだけれど

長年当たり前にそこにあった木が、たった一日で無くなってしまうのかと考えると、心にずんと虚しさが広がる。

伐採の作業をしていた人に、その木の樹齢を聞いてみた。私のそばで話を聞いていた妹は、目を少しうるませていた。

空に向かってのびのびと育ち続けたトドマツは、60~70年くらいということだった。そうか、母が子どもの頃からそこにあるということか。

切られる今日までそんなことも知らずにいた。

60~70年前に、誰かが植えたトドマツ。その木のとなりで私たちは育った。

木からはきっと、いつも私たちが見えていたのだろう。家族や時代の移ろいをすべて、ただ静かに流れるように。

自分たちの人生がそばにあったというだけで、

こんな感情が込み上げてくる自分もまたなんて勝手なんだろうと自覚しつつも

ただ伐られる運命のその時を相変わらず静かに待つトドマツを前に、やはりどうしても私は寂しい。

今朝は妹が一緒でよかった。